生まれるための病院があるなら死ぬための病院もあっていいはずだろう
どうして安楽死が許されないんだろう、死にたいということをよく思う
痛みなく死にたいというのはそんなに我儘な願望だろうか
死という発想はなくても幼少期から自分はいなくなった方がいいという考えはあった
変われ変わればという自分を殺せという文句をずっと聞いて生きてきた
変わらなきゃ、普通の子にならなきゃ捨てられるという恐怖が常にどこかであった
そうしているうちに自分は高校の時に障害者認定され、今も死ぬ痛みが嫌なだけで生きている
要介護状態で働けない自分の生きる価値なんて、社会からしても存在しない
支援者という立ち位置の者は、本当の理解者を見つけて、そこで生きていけばいいというが、
そんな人間がどこにいるんだろうか、探そうとするうちに増えるトラウマが、さらに息苦しさを強めていった
正直自分でも自分の心身と頭の中の記憶に付き合うことにとても疲れてしまった
生きる権利のない者への制裁として人殺しをする者も現れるかもしれない
死の自由を認めることによる周囲の圧力で、死を選ぶ人も生まれるかもしれない
前者は自分が人殺しが悪という社会から目を背けているただの犯罪者であるが、
後者の方はより責任感を足手まといになるほど背負わせるこの国で凶器になるように感じる
金銭によるものかもしれないし、家族中が心底悪いのが理由であるかもしれない
死ぬ権利もあるのに生きることは罪、人は常に罪人であると洗脳してくる教師も出て来るかもしれない
どうしてこんなに死との付き合いが難しいんだろうと考えて、
精神病院 刑務所 なりに入って 人間性をメンテナンスして 出直すことは出来ますよね。 きれいな身体になってシャバへ出直しです。