2017-04-17

小児性犯罪も駅員に対しての暴力明日は我が身かもしれない恐怖

30半ばからうすうすと感じていたことが40を過ぎて確信に変わったことがある。

それは、年を追うごとに内なる衝動を抑えることが難しくなっていくということだ。

自らのだらしない部分は山ほどあることを自覚している。

しかし、それを外に出さず人並みに生活が出来ているのは、それらとどのように付き合えば人に知られずに生活を続けられるかの処世術を身に着けているだけにすぎない。

そうした処世術は年を追うごとに身につき、年を取れば取るほど器用に生きられるものだと思っていた。

ところが30半ばを過ぎた頃からどうもそううまくも行かないようになってきた。

衝動が理性を上回ってしまうことが多くなってきたのだ。

それは、惰眠であったり深酒であったりやるべきことの後回しだったり、今はそれほど実害のあるものでもない。

ただ、それらのコントロールが日に日に下手になっていくことだけは間違いなく実感がある。

人には言えないようなうちに秘めたる衝動がないわけではない。

犯罪者であるかそうでないかの違いは、衝動の有無ではなく行動の有無だと常々思ってきた。

だとするならば、もしこの衝動を抑えられることができなくなれば、自分だっていつ犯罪者になってもおかしくはないのだ。

駅員を突然殴ってしま中年も、かの事件で捕まった46才も、いままでそうした衝動がなかったわけではないのだろう。

ただ、その年になったことで抑えることができなくなってしまったに過ぎなかったのではないだろうか。

これから先、自分のこの衝動とどのように折り合いを付けて生きていけばよいのだろう。

しろ衝動は年を追うごとに育っていく一方にさえ思えてならない。

世代が引き起こす事件報道がいいようのない不安になって胸に突き刺さる。

  • 心配しすぎやね ピック病にでもならん限り普通の人間は一線を越えない 犯罪者っていうのはほぼ生まれつきの資質であることが最近の研究では示唆されてる

  • あー、この恐怖心はわかるわ。 ただ、年とると打算もそれなりに働くようになってくるから、それでどうにかバランスとってる感じ。

記事への反応(ブックマークコメント)

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