どれくらい好きかっていうと、サンドを包んでいたビニールについたたまごを綺麗に舐めとりたいくらい好きだ。
鼻に抜ける、一歩間違えたら「くさい」に分類される濃厚なにおい。
たまらん。
春ということで、ランチは最近オフィス近くの公園で食べている。
年明け早々寝過ごして終電を逃し、タクシーのおっちゃんにいかに自分が哀れか、金がないか、ここからどれだけ遠くに住んでいるかアピールし、媚を売り、それでも「あーそーなんだねー」と流され続け、
泣く泣く諭吉を差し出した(当たり前)、当時はまだ23歳だった私が見れば
「おい弁当はどうした?」「断腸の想いで手放した緒川先生のサイン入り漫画は?※1」と
ぶん殴られるだろうが、24歳となった年長者だからこそ言えることもあるのだ。
「パタゴニアのフリースにダボダボのチノパン履いてる女に媚を売られて鼻の下伸ばすじじいがいるかよ」
公園に話を戻そう。
千切りキャベツと冷凍コロッケと白米の入った私の弁当を見て、何か言わなきゃ気が済まない先輩も、
(「ずいぶん大胆なお弁当だね〜」)
こちらが舌打ちしてもかき消されてしまうほどデカい音でタイピングをする上司も、
(バチバチ、、、バチバチバチ、、バチバチバチバチ、、、バチッ「Enter」)
(「なに食ってんすか」)
ここにはいない。
代わりにいる奴らがいる。
私のランチ仲間を紹介しよう。
「鳩」、「(鳩のケツを追いかける)クソガキ」、そして「自転車おじさん」だ。
春が鳩にとっても「春」なのかは知らないが、奴らは常に3羽で行動している。
まずはじめにやってくるのはやたら黒ずんだ(多分)メス。
正面に座って、じっと見つめてくる。
初めて会った時、片足しかなくて大好きなたまごサンドをうっかり与えそうになったが、
ちぎった瞬間二足歩行で突進してきたので、思わず「殺す」と言いそうになった。
だから女って嫌いだ。
続いてやってくるのはそいつ狙いの(多分)オス。
鳩特有の気味の悪い緑がかった光沢のある首を膨らませ、「ホホホホー」なんて言いながらメスのケツを追いかける。
そして3羽目も(多分)オス。
ただこいつはオス①の子分のようなポジションで、金魚の糞のように①の後ろをついて歩くだけ。
彼らは食べ始めに1度、思い出したように中盤に1度、そして食後に1度、必ず挨拶に来る。
律儀な奴らだ。
そんな奴らを狙っているのが「クソガキ」だ。
めちゃくちゃ短いズボンの制服を着た、目玉親父もびっくりの4頭身。
にしても子どもというのはどうしてこうも視界が狭いのだろうか。
いや、決して将来展望とか思考について語られる時に使われる「視野」ではない(なんせ奴らは人間未満だからだ)。
鳩を見つけたら、鳩しか見えない。
黒目を3mmでも動かせば、たいそう旨そうにたまごサンドを頬張る私という人間が目に入るはずなのに、見えない。
生物は自分よりも強い奴からは逃げるという習性があるんじゃないのか。
まず、食べ物を持つ私は「与える」側なので、間違いなく鳩より格上。
そして、追いかけ回して相手にとうてい手の届かないところへ行かれてしまうクソガキは、
間違いなく鳩より格下だ。
しかし、クソガキは私から逃げなければ、恐れることもない(いかにも自分を嫌いそうな生物(私)が近くにいたら萎縮するもんじゃないのか)
なぜなら、見えない気づかない怖くない、からだ。
(予定は一切ないが、自分の子どもにはこの3つの「ない」は言い訳にならないことをぜっっっっっったいに教えよう)
さて、そんな「私に萎縮しない」鳩を見つけたクソガキが何をするか。
答えは簡単だ。
追いかけ回す(地面を歩くアリを潰すように、地面を闊歩する鳩を追いかけるのは、子どもの性らしい)。
ダッ(クソガキが鳩を脅す)
バサッ(鳩が飛び立つ)
この瞬間、つい3秒前までの私が信じていた勢力図が一変する。
間違いなく私はこの3者からなるヒエラルキーの最下層へ転落する。
そして「満足にたまごサンドも食べれないランチタイムなんて…」
と、悲劇のヒロインに甘んじるのだ。
そんなどうでもいい勢力抗争に一瞥すらしない人物、それが「自転車おじさん」だ。
おじさんは、いつも公園の桜の木の下で自転車の修理をしている。
それもいつも同じ自転車だ。
春とは言え、まだ吹く風は肌寒く感じるなか、おじさんはいつも半袖を着ている。
自転車の後ろのカゴには空気入れとボコボコのアルミバケツが積まれていて、
蛇口で水を汲みながら、器用に(そもそも何を修理しているのかわからないが)タイヤをいじっている。
その作業を私はぼーっと眺めながら、
「ホームレスはみんなチャリンコ修理できますよ(関西弁)」と真顔で言っていた先輩を思い出すのだ。
このおじさんはホームレスなんだろうか。
修理はどこで学んだんだろうか。
なぜ一回で修理を済ませられないんだろうか。
いつもいるということは、まさかここが家なんだろうか。
どこでお金を稼いでるんだろうか。
自転車はおじさんをどこへ連れて行ってくれるんだろうか。
私がここに来なくなったらクソガキに危険が及ぶんじゃないだろうか。
etc…
こんなしょうもない妄想をするのが、ここ最近のランチタイムの楽しみだ。
おじさんが修理を終えた時、
クソガキが鳩に満足した時、
鳩がパンを飲み込んだ時、
公園はまた静けさを取り戻す。
くぐもった鳩の鳴き声も、クソガキのランドセルについた鈴の音も、私がランチの入ったビニール袋を漁る音も、おじさんがタイヤをクルクル回す音も、一斉になくなる。
残るのは春風に舞う桜の花びらだけ。