概ね理解できるけど
家事全般世の専業主婦と同程度に出来る男がいたとしても、流石に
「世の風潮」をひっくり返してそれを「雇う」決断ができる人がそこまでたくさんいるかは疑問な気が。
関西出張から帰ってきたら、こたつはつけっぱなし、ドライヤーは出しっぱなし、化粧品は出しっぱなし、明日燃えるゴミの日なのにゴミをまとめてない、皿を洗ってない、食卓を拭いてない。もう寝ているので、一通りやりました。怒るとまた言い訳してケンカになるので怒らず、しばらくここに書くことにします。
太ってるってだけで完全に諦めなければいけないレベルの太り方って
じゃあ「役に立たない男」と言うか
男が多少稼いでいても、女の方が遥かに高収入かつ家事育児も全部女がやってるんであれば男の存在意義はないし
「男は専業主婦を養うのに高収入の女は男を養わない!」ってやつ
男はタダで専業主婦を養ってるのではなく、家事出産育児介護の対価として養ってんだよ
なんで何もする気がないお前が、家事出産育児介護をするのが前提の専業主婦と同等だと思ってんのかと
男も世の専業主婦並みの役割(まあ子供は産めないから「子なし専業主婦として夫に認めて貰ってる程度の専業主婦」にするか)
を果たすなら大歓迎、って女は多いだろうさ、
殆どの女がそんな男が存在すると信じられないくらい、そんな男は見かけないだけで
今日の昼間、趣味のサークルの一部メンバーにLINEしたけど、全く応答なし。(既読にはなっている。)私はいちおうそのサークルの役員で、別に自分で立候補したわけではなく、4月からも雑用チックな内容だけど引き続きスタッフとして働いてねと言われている。単に出席率が良くて幹部の命令に従って動くからそういう仕事頼まれてるんだとは思うけど、なんでそんなに粗雑な扱いを受けなきゃいけないんだろう…。
「今度の週末に集まって一緒に活動できる方いませんか?」的な内容なんだけど、都合が悪いならそのように言えばいいし、単に気が進まないなら気が進まないで、嘘でもいいから「奥さんの許可が出ない」とか「別件の先約が…」とか返してくれればいいのに。自分もあんまりLINEとかに即レスするタイプじゃないし、メッセージが来ても気付かないことも多々あるので、多少返事が遅いということについては極力怒らないようにしてるんだけど、無視されるのが一番ムカつくわ。
LINEが普及する前、ケータイのメールが主流だったときめちゃめちゃメールの返事が遅い子がいてイライラしたもんだったけど、とりあえず返事があるだけこれよりましだった。自分も忙しいときにこの手のメッセージやら連絡が来たら「いつでも即レスできるわけじゃね~よ」とは思うので、人にも即レスを求めてはいけないとは思っているけど、1行か2行で返せる話を返してくれないってどゆこと?
自分がわりとLINEとかメッセージとかで長文書きがちなので、ややうざいのかも知れないけど、無視されるとマジ凹むので勘弁してほしい。「嘘も方便」という言葉があるけど、本当に見え透いた嘘でもいいから、「ごめん、行けないわ」とかなんとか言えよと思う。1対1のやりとりだったらもう少しまともに相手してくれるんだろうか。
左翼(マルクス主義)の目指すところは、「格差を広げる経済成長を放棄して、みんな貧乏でも搾取がなく平等な社会」だからなぁ。
金以外にもリターンが考えられないだろうか
・疲れる(休息)
これらを総合したリターンが親睦を深めるリターンよりも大きかったんだろう
実際会話でヒモって言うと、男のほうが働いていてでさえヒモって表現されてることが多く感じるし
ヒモが多いから云々ってのはそのへんのバイアスがどうなんだろうって気になる。
極端な例になると、高学歴の割には低収入の人が大学時代から付き合ってた人と結婚したら
家事とかを「何もやってない」との区別をしない人ってのは割といると思う。
専業主婦を敵視してる層とかと似た感覚なんだろうかとか思うけど。
あと、いくら収入面での数字が良くても、妻が「正業」、夫が特殊な仕事、とかだと
赤外線は、テレビ、ビデオ、エアコン、電灯、その他もろもろの電化製品のリモコンをまとめるのに使うんやで
なにをするにもリスクとリターンがつきものなのだと考えている。
例えば匿名ダイアリーにこんなことを書くことのリスクは明日仕事なのに睡眠時間が削れること、リターンは自分の心の欲求が満たせること。
コンビニの買い物もそう。徒歩1分のコンビニに151円の500mlのジュースを買いに行くか、徒歩1分半の自販機に500mlの150円のジュースを買いに行くか、徒歩2分半のスーパーに500mlの120円のジュースを買いに行くか。
人付き合いをしているとふと思う。この人は今、なにをリスクと見なし、なにをリターンと見なし、どちらを選んだか。
私はこう言った。
同窓会で酒を飲みに行こう。店はこの店にしよう。会計1人5000円ぐらいで当日集めるね。
すると彼は言う。
高いからやめとくわ。俺抜きで行ってくれ。
と。
5000円は決して安くない。20代の一般的なサラリーマンにしては数日分の生活費になるだろう。
それはわかっている。
では彼はなにを選んだのか。私たちとの時間より、お金を取ったのだ。
それを批判するつもりもない。怒るつもりもない。
ただ、私たちとの同窓会に5000円の価値を感じなかったのだろう。
私たちとの関係というリスクを取り、5000円節約というリターンを得た。
そのリターンを得るために釣り合ったリスクだろうか。私はそうは思えない。だが彼はそう思ったのだろう。
その程度の価値だと思われていたということが悲しい。
これを読んだ人はすこし考えてみてはどうだろうか。
ふとなにげないことのリスクとリターンを。
なにを失い、なにを得ているのかを。