釣りをするつもりはない、先に書いておこう。うんこは漏らしそうになったがギリギリセーフだった。お前たちのそういう期待には応えられない。俺の衣類は無事だ。
俺が問題視しているのは渋谷駅の構造だ。お前らは渋谷駅周辺で便意を催したときにどこに向かうだろうか?
20年ぶりに渋谷を訪れた俺は適切なトイレを見つけられなかった。危うく漏らすところだった。お前らは思うだろう、漏らしていないならどうでもいいじゃないか、と。
違う。
漏らすのはある一線を超える行為だ。
誰にでもpoint of no returnがある。軽々しく越えてはいけない一線だ。うんこを甘くみるな。お前の括約筋が担っているものは決して小さくない。ロンドンにはビッグ・ベンがあり、お前の腸にもある。人が飯を食い生きていく以上、当たり前の話だ。
ロンドンでビッグ・ベンは時を刻み続ける――お前の腸内も同じだ。
うんこは時計の針とは違う。ただお前の体を通り過ぎ、いつかは出ていく。
その時、お前はどこにいる?
トイレを見つけやすい街とそうではない街がある。渋谷はうんこのできない街、それでいいのか?
工事の終わらない駅として知られる横浜で、俺はうんこに困ったことがない。トイレの場所は変わらないからだ。
俺の直腸は横浜で勢いよくうねり狂う――そのための場所があるからだ。俺の肛門が活躍できる場所があるからだ。便がほとばしる――俺の身体を飛び出していく。俺の消化器が奏でるビートが、TOTOの白い壁面を鳴らす。直腸を駆け抜ける放出感。誰もが知る、あの満足の瞬間だ。
だが渋谷は違う。
トイレが見つからない。俺の知っていた場所にはない。それでいいのか? 本当にいいのか? お前たちはどこでうんこをする? お前たちの菊はどこで花開く?
主語が大きいことはわかっている――だが、渋谷はうんこに冷たい街だ。いいのか? それでいいのか? 誰もうんこと無縁ではいられない。渋谷にうんこは必要ない――そうかもしれない。だが、うんこを排除することは人を排除することだ。
良いことを教えてやろう。 都心の駅付近で催した時は商業ビルに行けば必ずトイレがあるぞ。 これを覚えておくだけでだいぶ安心するから、過敏性腸症候群の場合は催すこと自体が減る...
お前は将来渋谷駅よりでかいクソをするでっけえ人間になるよ
埼玉口の改札前にあるよ。
嘘乙。 埼玉県には何もない。