真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
レバニラはマズい。
だからといって、レバノンやレバニラが中村恭平や村中恭平と相関関係にあるわけではない。
日常系のことだ。
例えば裕福であったりだとか、争いだとか漫然とした不安の存在しない、問題のない世界。
もしも、それを享受するとするならば悦楽的だろう。
当然、そんなことを完璧にこなすことは現実的ではないので、建前だけでも目指すならば虚構を含んだり逃避する必要がある。
人々が社会と共にあるのは避けられないことではあるが、意識下においては二人三脚というわけではなかった。
それを反映させるなり、象徴的に描く媒体として、フィクションが都合のいいものであった側面は否定できないだろう。
もちろん、そこに停滞感があると恐れるが故に、それらを破壊するフィクションも一定数は好まれているが。