自分は、村上春樹のファンである。長編は全部読んだ。中編、短編もほとんど読んだ。インタビュー集なんかも読んだ。
騎士団長殺しも発売日に買って読んだ。しかし、読み終わってみると嫌悪感しか残らなかった。そして、それは予感された嫌悪感だった。
一時期に比べ村上春樹の著作を読むことも減り、騎士団長殺しを買ってみたはいいが、正直今の自分の価値観に合わないんじゃないかという予感があった。
そんな不安に反して、読み始めると小説の世界観に没入する事ができた。なにしろ今までの集大成かのように、これでもかと、今までの著作に登場したモチーフが見られ物語の奥行きが感じられ、また文章の流麗さ、比喩表現の豊かさに改めて感心した。
しかし、物語の後半に入り、ファンタジーの世界で様々な問題が解決されてしまう所に、強烈な嫌悪感を感じた。それは今までの著作でもよくあった展開であったが、これまでは物語に没入したまま読み終える事が出来た。しかし、今回に関しては、ファンタジーの世界、あるいは高度なメタファーの世界で問題が解決する事に拒否感があり、もはや物語に没入することができなかった。
村上春樹的な世界観が描く未来はどんなものであるのか。村上春樹的な世界観の結論とはなんなんだろうか。そんな問いに対する具体的なメッセージを得ることができなかった事に落胆した。
一方で、そんな問いを村上春樹に求めること自体間違っているのかも知れないし、自分がメタファーを感じる能力が無くなり、具体的な答えを求め過ぎなのかも知れない。
抽象的に語られ、メタファーの世界で物語が終わることでこそ、読者個人の心の中で様々な物語となることができ、全世界的な共感を生んでいるのかも知れない。
他方で、今回だけでなく、今まで読んできた多数の村上春樹の著作を振り返った時に、これといった結論を得られていないと思った。村上春樹も度々言及する、キャッチャーインザライや、グレートギャツビー、カラマーゾフの兄弟などといった過去の名著は、どれを取っても全体を振り返った時にテーマとそれに対する結論が思い当たる。
しかし、村上春樹の著作では、一体なにが残るというのか。共感を呼びこそすれ、どこかに導くことは出来ないのではないか。そしてその意思も感じられないことは無責任なのではないか。そんな強い憤りを感じざるを得なかった。