2017-03-23

http://anond.hatelabo.jp/20170323162129

研究教育を切り離せという意見がありますが、研究していないと教育できない(特に上位の大学では)ので、研究教育を切り離すのは難しいです。

ただ、事務職員でもできるような仕事教員がやっているというのは確かにそうで、一員としても謎なままやらされています試験監督はその最たるもの

文章作成したり校正したりという作業は、事務職員の基礎学力があって、文章推敲ができるレベルならよいのですがそうでない大学では事務職員ができないか教員がやらないといけないのかもと思ったりもします(短大で教えたことがある方はわかると思いますが、短大には日本語がままならない方もおり、でもそういう方が「エクセルができます」とか言って大学職員採用されたりする。)文科省に出す書類は分厚く大量なので、文章の読み書きになれた文系教員でないと作成したり誤字脱字を修正したりというのが難しいようです。教員が見て初めて修正された部分がいくつもありました。

事務教員パワーバランス問題もあります。私がいたところでは、事務職員が「忙しくてできない(実際は能力が低くてさばききれない)」と投げ出した仕事教員がやらざるを得ない状態でした。やらないと管理職に「あの教員が働かないから辞めさせろ」と言いに行くのです。

比較偏差値の高い大学で、大学事務職員が卒業生だと基礎学力モラルも愛校心もあり、それほど大きな問題は起きないのですが、いろいろな大学があり事務職員も多様なので、事務能力や意欲の問題からできない(やらない)で教員やらせている仕事結構あるように思います

プログラムとかで短期教員事務職員を雇用してという形で予算が出るので、教員予算をとるための書類書きや事務仕事に追われます事務職員もいろいろな人が雇われるので質もばらつきが出ます文科省予算のつけ方を変えるのが一つの解決策なのでは。

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コメントが付いたので追記です。

一時私立大で非常勤をし、ある国立大学学位を取り、ある国立大学プログラムで働いていた者の意見です。

東大は~」という意見がありますが、東大とは前提として違うところがいろいろあり、こちらも東大の状況をよく知らないので何とも言えないところがあります。ただ、東大の~研究所でも学部生の授業を持っていたり、院生指導をしていたり学振PDを受け入れたりというのを結構聞きます独立行政法人研究所バイトしていた時もありましたが、そこは研究だけしていたら良いようでいて、意外と他の大学非常勤に行っている人が多かった。教えることを通して学ぶこともあるので、研究だけ、教育だけと分けなければいけない、というものでもないのではと思います教育研究を両方やるのは別に普通だけれど、教員事務仕事生活指導のような雑務を異様に多くやるのが問題なのではと私は思います

事務事務が専門で、教員教育研究が専門なのだから教員事務仕事をやるのはおかしいというのは確かに最もで、本来はそうあるべき(かつてはそうだった)のかもしれません。ただ、現実として、試験監督文科省に提出するプログラム運営必要な分厚い書類を若手が作らされるというのはあり、それを拒否することはできません。他大ではもしかするとそのあたりの事務仕事事務の方がやっているのかもしれませんが、私がいたプログラムでは事務仕事は大量にあり、だれも逃れられない状態にありました。事務の専門を尊重してというのはやってきましたが、その事務専門性も危うく(日本語が危ういとか仕事に対する意識の低い職員が少なからずいる)教員教員の専門を尊重されることはほとんどなかった。若手の教員は次々に変わっていき、「代わりはいくらでもいるんだ」という態度を管理職から事務からもとられていて、すべてを受け入れないといられない状態でした。若手研究者が過多で足元を見られて酷使されるというのはポスドク問題とも関係してくる問題なので、文科省競争させてプログラムお金をつけるという方針であることだけに起因するものではなく、複合的に生じた問題のように思います

  • 研究してないと教育できないというリクツをよく聞くけど、エビデンスあんの?

  • 研究と教育を切り離せという意見がありますが、研究していないと教育できない(特に上位の大学では)ので、研究と教育を切り離すのは難しいです。 逆に東大なんかだと研究所が沢...

    • 事務方は「事務の専門家」であるって前提をすっ飛ばすと、 たぶんああいう認識になるんだと思う。 でも、そういう認識の人は、大学関係以外でもごまんといるんだよな。

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