変わり映えのない家族愛に注目した特集が多い。無難で分かりやすいからだろうか。御涙頂戴でPV視聴率稼ぎやすいからだろうか。
実際のところ家族愛など微塵も感じたことのない毒親に悩む人間だっているんだけども。
外野からはとてもじゃないけどそんなことは言えないし、内野からでもわざわざ言うことでもない。オフレコでしか流通しないエピソードを見聞きする人はいるでしょう。
非被災者がいい加減なことを言うんじゃねぇ、と、被災者や不謹慎厨は言う。分断。
ここにもちょっとしたポリコレとポリコレ棒の問題が存在するように感じる。
ポリコレというか、弔い合戦というか、死者にゲタを履かせ花を持たせたい心情というか。
報道側・外野側の気持ちもわかる。無難だし、攻めたことをするのは覚悟が必要なのもわかる。かくいう私も増田でね。
個人的、ミクロ、主観的には震災はまだ続いている人もいる。しかし社会全体のマクロとしては、もう感傷に浸ることから抜け出さなければならない段階であって、そういった段階だからこそシン・ゴジラが作れるわけでしょう。冷静さと客観性を取り戻してきているわけです。
なのに先へ進めない時代。シルバーデモクラシーや感傷、反知性などによって合理性が蔑ろにされる。
鉄道の復旧なんかでもそういう話がチラホラと。元通りにするよりも、かねてよりの問題も鑑みてアレコレしたほうがマシでは?がポシャったりする。
あ、きょうは3月11日なのか