2017-03-10

トランプ支持の「負け組男」は本当に「肉屋を支持する豚」なのか

なぜ俺たちが結婚もできず、子供も作れず必死に働いている金で、よその国で子育てをするという道楽支援しなければならないのか……よく分からないNPOなんて相手にするなや

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/326107228/comment/kakikae


妊娠中のフィリピン人女性生活保護申請し、NPO団体の協力により受理された」というニュースに対して上記のブコメがついた。トランプ支持者の言い分を思い出させるこのブコメだが、このブコメに対して更にブコメがつくという状況になっており、現時点で300を超えるユーザーブックマークを付けている。その中に、フィリピン人女性に対する不満を漏らしたブコメ主の事を「肉屋を支持する豚」と表現するブコメがあった。トランプ大統領選勝利した時にも、トランプを支持し「弱者の救済」や「正しい世界の実現」に反対する人間を、「肉屋を支持する豚」と表現する意見は多く見た。「トランプを支持したのは、底辺にいる負け組の男」というような意見もよく見た。はてブ風の言い方をするならば、「トランプを支持したのは、キモくて金のないオッサン」といったところだろうか。

だが彼らのような「キモくて金のないオッサン」達は、本当に「肉屋を支持する豚なのだろうか?私はそうは思わない。何故ならば彼らのような「キモくて金のないオッサン」達を見ていると、彼らの中には次のような確信があるように見えるからだ。

弱者の救済や、正しい社会の実現がどれだけ進んだとしても、その先で自分達のような『キモくて金のないオッサン』が救われる事は絶対にない」

そしてその確信は恐らく正しいように思う。「弱者の救済」や「正しい世界の実現」を目指すリベラル達の言い分はこうだ。

キモくて金のないオッサンなんかより、私達が救いたいと思える、気持ち悪くない弱者を救う事こそが大事妊娠したフィリピン人女性のような気持ち悪くない弱者子供を産むために、お前らキモくて金のないオッサンは金だけ出して欲しい。お前らキモくて金のないオッサン結婚もできず、子供も作れないとかどうでもいいよ。タダの自己責任でしょ?自殺ホームレスが男ばっかとかもどうでもいいよ、キモくて金のないオッサン勝手死ねば?。キモくて金のないオッサンがいっぱい死んでる事なんかより、女性がまだ大統領になれてない方がよほど大きな問題でしょ?何?私達には金も出したくないし、票も入れたくないって?この負け組男が!お前たちみたいな底辺男がいるせいで世界は良くならないんだ!お前らの考え方は間違ってる!」

こう言われて誰が金と票を出したくなるのだろうか。「お前らの不幸には全く興味ないけど、私達好みの真の弱者を救うために、お前の持ってる金と票だけくれ」と言われて、「うわあそれは素晴らしい考えだね、僕たちみたいなキモくて金のないオッサンは救われないけど、真の弱者は救われる綺麗で正しい世界の実現のために、僕の票とお金を出すよ。」ともし言えるならば、そちらの方がよほど「肉屋を支持する豚」と呼ぶに相応しい状況だろう。

対してトランプのような男の言い分はどうだろうか。彼は大統領就任演説で「これまで忘れ去られてきた人々は、二度と忘れられることはない」と言った。リベラル言葉トランプ言葉、どちらが「キモくて金のないオッサン」に寄り添おうとしているだろうか。限界のところで生きている「キモくて金のないオッサン」達がその差し出された手を掴んでしまったとして、一体そこに何の不思議があるのか。大統領選の結果を受けて、リベラルと呼ばれるような人達からキモくて金のないオッサントランプ投票した!」と聞かされても、私にはそれは当然の結果にしか聞こえない。

それでもやはりリベラルは「キモくて金のないオッサン」の事を「肉屋を支持する豚」と呼ぶのかもしれない。「トランプ大統領になっても、お前らキモくて金のないオッサンの思い通りになんかならないぞ!」と、そう言うのかもしれない。そしてそれは実際、そうなるのかもしれない。しかしその状況を「肉屋を支持する豚」と呼ぶのは言い過ぎなように思うのだ。この状況を表現するならば、「豚は豚なりに、少しでもマシそうな肉屋を選んだ」と呼んだ方が相応しいのではないだろうか。

このように言えばリベラル達は「私達のどこが肉屋なんだ!」と怒るのかもしれない。恐らく彼らは「キモくて金のないオッサン」の肉を粉々に切り刻んでいるような自覚は本当にないのだろうから、それは仕方のない事だと思う。

彼らはアフリカの子供のために涙を流す事はできても、自分の家のゴミ捨て場を漁って生きているホームレスの「キモくて金のないオッサン」のために涙を流す事はできない。まだ女性大統領になれてない事を問題にできても、自殺していくのが「キモくて金のないオッサン」ばかりな事は問題にできない。「キモくて金のないオッサン」達に「私達は弱者は救いたいけど、その弱者の中にお前らみたいな『キモくて金のないオッサン』は含まれないよ」という事が、「キモくて金のないオッサン」をどれだけ絶望させているか想像する事もできない。人前で涙を流せない「キモくて金のないオッサン」達が、家で一人の時に流す涙に、どれだけの絶望と恨みが込められているのかを想像する事はできない。だから彼らは言うのだ。「お前らの不幸に心底興味がない私達みたいな正しい人間を支持せずに、何故トランプを支持するのだ」と。

肉屋でありながらも、少しでも豚に対して寄り添おうとした男と、肉屋であるにも関わらず、その自覚すらなく豚を粉々に切り刻み、そこに微塵の罪悪感もないどころか、これこそが正義だという顔をする女と、豚が支持するならばどちらが正しいだろうか?そこに絶対の答えはないのだろう。しかしそれでもこの問題について考える事は重要であるように思える。フィリピン人女性に対する不満を漏らしたブコメ主に対する反応の中には、今後日本においてもトランプ誕生する事を心配するコメントがあったが、私にはそれが現実にありえる事であるように思えるからだ。

トランプのような男が現れ「お前らを救う事はできないが、お前ら以上の被差別階級を用意してやる」と悪魔のように囁き、ヒラリーのような女が現れ「お前らは決して救われない正しい世界を作るために協力しろ」と正義を叫ぶような状況が仮に日本に起こったとして、「キモくて金のないオッサン」が前者の手を取らない保証がどこにあるだろうか。いやむしろ仮にそのような状況になれば、前者の手を取ってしま可能性の方がかなり高いように思う。そのような状況を産まないためにできる事があるとすれば、それは決して「キモくて金のないオッサン」を「負け組」だの「底辺」だのと罵る事ではないように思うのだ。北風と太陽ではないが、「キモくて金のないオッサン」をどれだけ責めたとしても、問題解決しないのではないかと思う。

フィリピン人女性に対して不満を漏らしたブコメ主に対して、「屑」「認知の歪み」と罵り、自己責任論を突きつけるような反応も見られたが、それでこのブコメ主が考えを本心から変える事はないだろう。「ブコメ主は、自分フィリピン人女性の両方が救われる事を目指せば良い」という意見もあったが、恐らくそ意見ブコメ主には届かない。何故ならば、すでに述べたが「キモくて金のないオッサン」の中には、「綺麗な弱者を救う事に協力したとしても、その先に自分のようなキモくて金のないオッサンが救われる未来はない」という確信が恐らくはあるからだ。ブコメ主の意見を変える事ができるとすれば、「その確信は間違いだ。アンタもフィリピン人女性も両方が救われる未来があるんだ」と言う他にないだろう。しかし、現実問題として今それを言ったところでブコメ主の心を変える事はできないだろう。何故ならば、「キモくて金のないオッサン」の「自分が救われる未来なんてない」という確信は、少なくとも現時点においては恐らく正しいからだ。

ではどうすれば良いのだろうか?私は現実に「キモくて金のないオッサンが救われる社会」を作る事しかないのではないかと思う。責めるのではなく、希望を見せなければならないと思う。このブコメ主が意見を変える可能性があるとすれば、「あの人を救えば次は自分の番だ」という希望以外にないのではないかと思うのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん