なのにいつまでもソニーがーニンテンドーガーと醜い争いをしているのを見ると滑稽だよ
ああ、衰退業界っていつもこれなんだよね、そうやってお互い足の引っ張り合いをしていればいいのさ、家庭用ゲーム機というのはいずれなくなる、そのとき今醜いゲハ戦争をしている連中は過去の出来事でゲハ戦争をするのであろう
はじめは楽しめていた物事でも、自分から湧き出る煩悩や他人からぶつけられる欲望に揉まれるうちに色あせていってしまう。例外はない。
”書きたい” ”つぶやきたい”
最初こそ、こうした素直な欲求が原動力となり自分を突き動かすものだ。けれどその欲求が強ければ強いほど、より強い承認欲求がもとの純粋な思いを呑み込む。
”PVがほしい””読者が少ない””フォロワーが全然増えない”
この思いのもとに、”〜したい”という思いは承認欲求へと変わる。
欲望は通過点となる。
すべては承認のために。
”書かねばならぬ””呟かねばならぬ””全ては自分のためなんだ”
非モテ話で物分かりが悪そうなオッサンに煽られるのは受け流せるが物分かりよさそうなリベラルに煽られると3倍ムカつくいて受け流せないという例えにならない例えが思いついた。
災害は「自分は関係ない」って思っている人のところに来る。神戸の震災は神戸には地震は来ないって言われてたのに来た。東日本大震災の被災地ではずいぶん前に起こった大津波を忘れかけて、ほんとは建てちゃいけないところに家を建てたりしてた。九州の人たちは東北は遠いし震災のことはぴんと来ないといっていたら熊本に地震が来た。そのうち増田のところにも来るだろう。神戸でも家具が倒れないようにしていたところは被害が少なかったし、東日本大震災でも高台に家を建て、訓練通りに逃げた人は助かった。熊本でもペットが避難できる施設を作っていた動物病院で助かった人がたくさんいた。増田は震災にあった人の気持ちを想像する余裕はないのかもしれないけど、発達障害の自分が災害にあって避難所生活をしなければならなくなったらどうなるか想像して、準備できることはしておくといいんじゃないかな。障碍者が災害にあったらどうなるかという体験談は探すと結構あるよ。
自宅にあった美味しんぼの単行本に載っていたとんかつ大王の回を初めて読んだのはまだ10歳くらいのころだったろうか。
「いいかい、学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、
ちょうどいいくらいってとこなんだ。」
素朴だけど染みる台詞、美味しそうな豚カツの絵、そして思わず涙の出てしまうようなストーリーは子供の自分の心にも深く刻み込まれた。
そしてあれから20年近く経った。今では豚カツを好きな時にに食べられるくらいには稼いでいるし、今でも豚カツを食べる時は心が湧く。
だが今あの話を思い浮かべると、やはり疑問が沸く。本当にいつでも豚カツを食べることができることがそんなに良いのだろうか。
理由は簡単、野菜だ。いくら千切りキャベツがあるとは言え白米と豚カツは太る。適度な運動、350gの野菜、8時間の睡眠、そして瞑想。
やらない言い訳探さないでやりたくないのでやりませんって言えるようになりましょう。
読書なんて通勤時間、ウンコしてる時間、いくらでも捻出できるものです。
読みたくないならそれでいいんです。一生情報弱者でいてください。
◇実行行為性はばっちり。
◇実行の着手時期で「危険を認識した時点」で実行の着手を認めるとしているんだけど、これだと例えば
という事例のときに、発見した時点でもう実行の着手が認められてしまって早すぎるような気がする。作為義務違反時に着手でいいんじゃないかな。実際、当てはめを見ると①アレルギー反応を認識した後、②殺人の故意に基づいて放置行為をした時点で着手を認めてるから、この見解に親和的なように見える(違ったらすまん)。
◇故意について余談。判例は認識認容説と言われている(最判昭33.9.9)んだけど、取調べの可視化の議論が進むにつれて、あんまり厳しく取り調べができなくなる結果、実務は「蓋然性の認識説」に移行しつつあるらしい。なのでこの年みたいに認識認容説で書かせることは今後減っていくのではないか、とのこと(前田)。
◇故意行為が介在する場合、危険の現実化はかなり認めづらくなるらしく、乙については因果関係を慎重に検討しないといけないらしい(前田)。
◇ただ本件の介在事情は不作為なので、そんなに気張らなくても良いような気がするんだけど・・・。
◇これ書いてる途中で、書いている内容が甲乙と被りまくるので、何で丙さん登場させたんだろう?と思ったんだけど、出題趣旨とかを見るとどうも過失の共同正犯を聞きたかったらしい(?)
◇ただ別に丙の行為にも因果関係は認められるので、過失の共同正犯の検討は不要とのこと(前田)。上位答案もほぼ触れていなかった。ここはちょっと出題ミスっぽい。
こういう人が良くいる
「テストをした方が良い」
「この本を読んだ方が良い」
「レビューした方が良い」
「勉強した方が良い」
と言ってくる輩だ
こいつらの話は「うっせーよ!」と思っておくくらいでちょうど良い
大体、こいつらは"やらないよりやった方が良い"程度の認識でしかないからだ
そんなのは当たり前だ
"しない" VS "する" だったらどっちが良いかなんて決まってる
でも現実は違う
時間やら人やら金やらの制約でできないことはたくさんある
今一番何をしなければ行けないのか?それを考える必要が最初にある
やらないよりはやった方が良いんじゃない?みたいな事言ってるバカは無視した方が良い
将棋で一枚も駒を取られないで勝つことはできないように、切り捨てなきゃいけない事はたくさんある
大半の人はどっちもどっちと改善に、その「どっち」同士の対立自体に興味がないことを分かってない
ゲームについてハードに執着し、敵(陣営とかいったりする)に怒りを感じる人間は
怒りの対象となる相手も鏡のように同じ気持ちになってるかもしれないとすらおもってない
ゲーム系迷惑サイトといってる連中は自分が迷惑かけられている、と被害妄想的に思うだけで
そもそも「クレクレ」とか「ゲーム系迷惑サイト」とかいう用語を使ってる時点で
あんなサンデーモーニングにでも出れそうな、眠い関口宏みたいな事を言いまくる人になるとは思わなかった。
そりゃ元々文系でコンピューターの突っ込んだ話を書ける訳じゃないから「パソコンライター」みたいな路線で突き進む事が出来ないのは判っていたけど。今はサッカー観戦がご専門なのかな?
あれで何となく支持者みたいな人もいて文筆家としてやっていけているんだから、それなりに需要はあるんだろう。ただ、私にとっては何の魅力も感じないというだけ。たまにRTとかで回ってきてがっかりするのがイヤなだけ。ラジオのコメンテーターとしても精彩に欠くよ。位置的には近いえのきどいちろうさんあたりと比べると本当に。
18歳になったから出会い系サイト使えるようになって、初めて知らない人と会ってホテルに行ってきた。
キスすらしたことないのに、知らない人とセックスの予定、簡単に決まってしまった。別になんのきっかけもなかった。バスの時間まで家で一人で缶チューハイ飲んでなんとか気を紛らわせようとした。
身分証入ってるのとか持ってくの怖かったから駅のコインロッカーにカバン入れて、コインロッカーの鍵だけ入った小さいカバンと携帯だけ持って待ち合わせに向かった。
二重に整形するお金がほしくて、でもセックスしてみたかったのもある。
部屋入ったらいきなりベットでビックリした。ほんとにベットしかなかった。一緒にシャワー浴びて、洗いっことか正直したくなかった。どうでもいいから。好きじゃないから。気持ち悪いとかはどうでもいいけど、その人の前で裸になるのも、おっぱい触られるのも、キスするのもなんとも思わなかった。
ファーストキスとか処女とか、そんな概念しょうもないと思った。
してる最中、こんな思いするなら1日中立ちっぱなしで働いて疲れて同じ値段もらう方がマシだと思った。放心状態で駅前で相手と別れて、地下街を彷徨ってた。
カバンを入れたコインロッカーの場所がわかんなくなって、とりあえずドトール入って、アイスラテ飲んで、また彷徨って、マックでポテトを食べて帰った。