2017-02-21

オードリーさん関係のツチヤさん

コミュニケーション手段として、お笑いを極めることに注力したツチヤさんという人の話を読んだ。このかたの考え方に勝手共感を覚えたので、メモしておく。

最初理解すべきことは、

お笑いプロトコルである。」

ということ。

これを理解できるどうかがツチヤさんを理解するカギになる。たとえば、お笑いというプロトコルを通じて会話ができない人が上役にいたとするとこの人は拒否反応を示してしまうのではないかと思った。

お笑い本質に触れることもなく「すごーい」「そうなんだ」「たのしーい」みたいなことをおっさん言葉で言われたときプロトコルが違う人なんだと思ったに違いない。ツチヤさんとしては、お笑いという共通言語で会話ができることが必須条件。しかし、放送業界という場では、上のウケがよく、上の指示通りに台本をこなせる人が有能であって、プロトコルに断絶がある。このプロトコルの断絶を乗り越えられる人がコミュニケーション強者だ。

この「すごーい」「そうなんだ」「たのしーい」のような社交辞令を真に受けず、意味を考えずに、さらに疑問を持たずに返事ができることはある種の才能だ。「すごーい」と言ってほめ殺しにならない加減も難しい。

会社に行って仕事をしているのにその仕事の良しあしよりも、便所掃除当番の取り組みしか評価されない会社があったら、上司との最優先プロトコルは便所掃除ということになる。本当に稼いでいる仕事の成否や上達は、なかったことにされ、便所掃除のみが評価対象となったら、どう思うか。便所掃除に限らずにゴルフとか飲み会かいろいろと種類はあると思う。

お笑いというプロトコルよりも上役との付き合いというプロトコルが優先される世界を目の当たりにしたとき失望したんじゃないかと思った。

東京お笑い界に入ったら、そこは、その世界を維持するための人たちの世界であり、その秩序を崩してまで、成長を望む人を許す世界ではなかった。どこもそんなものなのかもしれない。

と、勝手なことを印象だけで語っているので、ツチヤさんがどう思ったのかはわからない。「お笑い」の部分をあなたの身近な仕事に置き換えてみたとき、みなさんはどう考えますか。

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