2017-02-15

小町化する増田と、張本化した小町

最近日本死ねやそれに続く小町じみた内容の投稿には、正直そろそろうんざりしている。

自分も「小町でやれ」とトラバ飛ばしたくなってくる。

だが、小町で同じことを言ったとして、果たしてこうもバズっただろうか。

多少身内で盛り上がるかもしれないが、そこから外への広がりは期待できそうにない。

正月のアレにしても、「小町のことだし、どうせ年中同じこと言ってんだろ」と片付けられたはずだ。

ちなみに、小町個人的な印象は、「メインユーザーは暇でやたら自己顕示欲の旺盛な主婦層」で、

そいつらもドン引きの内容を投稿し、『びっくり』とツッコミ書き込みの集中砲火を食らっても、

なお己の見解を曲げようとしない業突張りの巣窟」というものだ。

これがどの程度正確かはともかく、いったんそういうイメージが多くの人の間で定着すると、

もはや何を言っても「小町発」という冠がついただけで割り引かれてしまう。

からこそ、主張の場は小町ガルちゃんではなく、増田でなければならなかったのだろう。

似たような例として思い出されるのが、日曜朝の張本勲である

番組では「御意見番」という扱いだが、もはや氏の意見など、言われるまでもなく誰もが予想できる。

とにかくNPB至上主義であり、マイナースポーツを見れば「何が面白いのか」としかわず

危険スポーツを見れば「こんな危ないことしちゃダメですよ」としか言わない。

張本氏の場合は一周回って様式美の域に到達しているが、そうでなければただ退屈なだけだ。

増田が外部で取り上げられるのも悪いことばかりではないだろう。教育困難校の人も気の毒だと思う。

だが、「増田=かわいそうな人たちの叫び場」なるイメージが定着することには、強い危機感がある。

多様性を失い、陳腐化した先には、メディアとしての衰退が待ち受けているからだ。

現実増田がそうであるように、他からイメージにもまた多様性必要なのだ

そういうわけで今からうんこ漏らします!

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