『男の「許す」は心のコップに貯まった水をすべて捨てる、 女の「許す」はコップのふちを盛り上げて心の許容量を増やす』
というあれ
本当は男女関係ないんじゃないか。
無自覚な側と我慢する側のギャップはそれだけ深いという話じゃないだろうか。
いじめなどを見ていてもそう思う。
やられた側は死んでも忘れない。コップの水をすべて捨てられる人なんて見たことない。
覆水盆に返らずと言ったのも太公望だしなあ。
それとも、我慢しなきゃと思う度合いが男女でそれだけ違うんだろうか。
我慢しなきゃと思いつつ付き合い続けるのが女なんだろうか。
「コップのふちが溢れる」というのは、「この先どれだけ努力しても我慢しても状況が改善されることはない」という、正しい未来予測なのかもしれんなあ。
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