2016-12-29

呪う約束

私は呪う。人の幸せを呪う。

やり方は簡単だ。幸せを歌う奴らに、嫌な一面を見出すコメントをつけるだけ。

そもそも、幸せなどと言っている奴らはすべからく思考停止しているのだ。どんなものごとも多面的であり、マイナス可能性は常に潜んでいる。それに考えが及んでいないのだから思考停止であるし、まさしく幸せな頭をしているとしか言いようがない。

そのお幸せな頭を現実に戻してやっているのだから、この呪いが正しいと信念を持つことができる。

しかし、この呪いをかけるという行為には、トリックが含まれている。私は幸せになれないというトリックだ。

どんなものごとも多面的であり、マイナス可能性は常に潜んでいるのなら、幸せになるにはマイナス可能性を無視しなければならない。だが、私の行為は常にマイナスに目を向ける行為であり、つまり私は幸せになれない。

それでも、考えるということが正しいと私は思う。幸せよりも真実の方が大切である

知らぬ者は幸いである?それは真実だと思うが、その幸せはいらない。

から私は、幸いである知らぬ者に昏い真実を囁くのだ。

呪いによって知るものとなったお前よ、その幸せの昏い真実に目を向けながら、それでも幸せでいることはできるか?

これは幸せへの挑戦であり、呪う約束なのだ

もしその呪いを受けてなお、幸せでいる者がいたとしたら、それは真実幸せを両立する道であり、私にも福音となるのだから

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