2016-12-26

自分セクシャルマイノリティだということに気がついた

今まではノーマルだと思っていたけど、どうしても異性の好みについて同性と話が合わないことに悩んでいた。

ところが昨日のクリスマスパーティーでのこと。

たまた席が隣になったビアンの人と妙に話が盛り上がって、話し込んでいるうちに妙に納得できる言葉を言われた。

「あれ?あん性同一性障害ビアンなんじゃない?」と。

お察しの通りわたし男性である

今まで付き合ってきた相手女性のみだ。

男性性的に見ることに対してはむしろ嫌悪感のほうが強い。

かといって、いわゆる女子らしい女子も苦手だった。

異性に媚びるような姿をみるとそれだけで腹立たしかったし、むしろ憎らしくも思っていた。

それに対して、今までお付き合いした女性は大体年上であるし、憧れてきた人は全て自分を引っ張ってくれるような人だった。

周囲からは化粧っ気がないなんて言われることが多いような女性ばかりで、実際に化粧の濃い女性よりもすっぴんに近い女性ばかりに憧れていた。

セックス最中義務のように責める言葉を口にしてはいたが、本当は相手から優しい言葉をかけてもらいたいといつも思っていた。

腕枕するよりも、背中から抱きしめられることのほうが何倍も嬉しいのだが、それも口に出来ずに悩んでいた。

今まではそれをマザコンが原因だと思っていた。なのに、母親に抱きしめてもらいたいとも思わないし自分でも矛盾しているとは思っていた。

思い当たるフシがないわけではない。

思春期の頃、同性からも異性から性的暴力を振るわれたことがあった。詳細を書くことは憚られるがいわゆる痴漢行為だ。

それも一度ではなく、内容も電車内での軽いものもあれば、見知らぬ相手に逃げ場のない場所で触られたり触ることを強要されたこともあった。

同性からも異性からも、見知らぬ相手から性的アピールを受けることは恐怖でしかなかった。

ただ、過去に何度か特定男性に強い興味を持ったこともある。

いわゆる一般的イケメンとは程遠い風貌であるし、何かにずば抜けた才能を持ち合わせているわけでもないのだが、何となくふとした仕草言葉の一つ一つにトキメキのようなものを感じてしまったのだ。

それはまだ思春期を迎える前で、なんとなくそのことがおかしいことだとは思っていたが、その相手に会うことが楽しみで仕方なかった。

ただ、そんな気持ち性的暴力に遭ってからと言うもの、芽生えると同時に嫌悪感黙殺されるようになってしまった。

女性とはじめておつきあいしたのは二十歳を過ぎてからで、はじめはお付き合いをするつもりもなかったのだけど相手一方的な押しに負けてしまった。

セックス好奇心があったことは否定しないが、相手に気を使わせまいと教科書通りの言葉を並べてみながらも、終わってみても自慰行為との違いがよくわからなかった。

それからセックスの楽しさがわからないまま数人の女性とおつきあいをしたが、凛とした姿に憧れて付き合い始めた女性が、ベッドで猫のように唸る姿を見るたびに幻滅を繰り返した。

でも、昨日の夜は違った。

話の流れからお互いの好奇心が一致したことで、ビアン女性セックスすることになったのだ。

その人はいわゆるタチで、こちらの気持ち高まるのを待ってくれているかのようにやさしく、それでいて頼もしくリードを続けてくれた。

挿入を嫌がるわけでもなく、最後はこちらが果てるのに合わせるように絶頂を迎えていた。

事後のケア男性仕事だと思いこんでいたのに、その女性はそんなわたしの行動を制止すると急にわたしのことを優しく抱え込んできたのだ。

それがとても暖かくて、思わず涙が止まらなくなってしまった。

今までは性欲を処理するための義務的行為だっと思い込んでいたセックスが、これほどまでに愛情を交わし合う事のできる崇高な儀式であるということに気付いたのだ。

わたしもいい経験ができたよ」と、その女性は去っていってしまった。

もともとが同性愛なのだからわたし一方的な想いだけで拘束してしまうのは悪いような気もした。

だけど、今までずっとずっと心につかえてきたわだかまりは、すっかりと溶けて消えていってしまったように思えた。

もう色々なことで重く辛く悩む必要がなくなったのだ。

今まで付き合ってくれた女性には申し訳ないと思う気持ちで一杯だが、きっとわかってくれるだろう。

これほどまでに清々しい気持ちはいつくらいぶりだろうか。

自分マイノリティであることを受け入れることは恐怖かも知れないが、自分を騙して生き続けることの苦しさに比べればきっと小さなことに違いない。

本当のわたしを好んでくれる人は男性女性わたしのどちらを気に入ってくれるのだろうか。

フェミニンな格好に興味がなかったわけではないが、それによって男性から性的視線を送られることを考えると恐怖が勝ってしまっていた。

これからの格好はそんなことをもう少し悩んでから決めたいと思う。むしろ相手に合わせて変えられる自由があると考えると、わくわくした気持ちでいっぱいになった。

トラウマがもとで性的マイノリティコミュニティ嫌悪するように避けていた自分にとって、本当の自分発見することはとても困難なことでした。

からもし同じような状況で悩み苦しむ人がいるのなら、ヒントになってくれれば何よりと思って文字にしてみました。

自分を見つけられずに悩んでいる人にとって、素敵なクリスマスプレゼントになりますように。

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