2016-11-30

「泣ける映画」という言葉映画をくくることの罪悪感

ってのがある。
映画を見て涙を流せばそれは「泣ける映画」だ。それは全く言葉意味する通りで、正しい。
ただ、「映画を見て涙を流す」という状況に至る感情の流れは割と多様で複雑なもので、それを「泣いた」という映画に対するリアクションの一部でくくっていいものか、とも思うのだ。

例えば、「泣きたくて映画を見る」ってときがある。そのとき感情の流れはこんな感じだ。
「あ、感情を揺さぶる場面きた。あ、あ、あ、何かがこみ上げてくる。もうすぐ、もうすぐ泣けそう
あ、涙がでそう、でる、排涙しちゃう、でちゃう、でるうううううううううううううううう」
これは、マスターベーションを想起させる感情の流れである。泣くために自分を盛り上げる。そして泣く。大変気持ちがよい。

そうかと思えば、
「おれは今この映画のすごさをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……
あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
"おれは笑いながら映画を見ていたと思ったらいつのまにか涙していた"
な…何を言っているのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…」

みたいなこともあるわけで、
これを「泣ける映画」としてひとくくりにするのはどうも釈然としない。
なお、当然ながら前者後者のどちらが「良い映画」かなんてことは別問題だ。見たら泣くかどうかなんてのは映画価値にとって一部分でしかない。

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