2016-11-21

寂しいという感情がわからない

まれつきわからないのか、育ち方の問題でわからなくなったのかは不明です。

進んで人付き合いをする方ではないけど、社会的に浮いてしまうような拒絶的なことはしません。

親族付き合い、仕事の付き合いは、必要十分の範囲でこなしてます

私的交友は人数も頻度もかなり少ないです。ただ例えば10年会わずにいても、昨日会ったのとそんな変わらずに付き合えるような感じです。

静かな空間が好きで、引きこもり志向です。書斎で、本に囲まれて、ネットにつながったPCがあれば連続で何ヶ月でも過ごせると思います

賑やかな空間は、昔はかなり苦手でしたが、今は長時間でも耐えられます。これは社会人になってからの訓練によるものです。

社会適応する必要から、わかる人に話を合わせることや、わかる人のフリはできるようになってます

必要なら、そういう人が寂しい思いをしないように、自発的配慮をすることもできます

これはある程度の訓練と経験を積み、類推力を利かせれば、それほど難しくはありません。

でも肝心の寂しいという気持ちは未だにサッパリわかりません。

妻と二歳の娘がいます

妻は寂しいという感覚がわかる人です。先述の訓練とか経験かいうのは、妻の観察で勉強したものも多いです。

妻子はとてもかわいいので、望む限りのことをしてあげたいと思いますが、例えばもし単身赴任とかになり長期に会えなくなっても、自分としては別に大丈夫です。

人並みの経済状態で、健康に善良に暮らしているなら、それでいいと思います

娘の情緒教育観点から父親としての役割が果たせないなら困りますが、それは娘への影響の問題で、自分が寂しいからという話ではありません。

まあ適応して生きていけてるので困ってはいないのですが、この違いはなんなんでしょうね。

自分は養う家庭を持っているので、必要があって擬態してる分まだモチベーションは維持できますが、そういう理由がない人は、同調圧力が煩わしいでしょうね。独身時代自分のように。

社会の側にもう少し理解があると生き易いのですが。

もっと差別的な扱いのマイノリティの方々がいると思うと、贅沢な話かもしれませんね。

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