2016-11-17

漠然とした不安というもの

昔、20代前半の頃、漠然不安だった。

自己嫌悪して何も知らないくせに世間を厭い、死ぬことばかり考えて精神科に行こうと思って予約したけれど、それもキャンセルして、グダグダとして、考え尽くした挙句、もうどうでもいいやと思って、テントと着替えをバックパックに詰めて東北北海道を3ヶ月くらい放浪していたことがあった。

ちょうど市橋容疑者が逃亡記の本を書いた頃で、それに影響されたという事もあったのだけれど。


金がなかったから街や山の中を転々としながら、公園海岸道の駅テントを張って過ごした。疲れた時はたまにネットカフェに泊まった。

別に何か、運命出会いみたいなのは、一切なかった。楽しくもなかった。

それどころか毎日不安で仕方がなかった。

今夜の寝る場所が見つかるかだとか。

台風で、真夜中テントが吹っ飛ばされそうになったりだとか。

山奥で、朝方起きたら寒さで死にそうになったりだとか。

いつまで放浪するんだろう、家に帰れるのかな、だとか。


でも毎日そんな具体的な不安ばかりだと、次第に、家を出る前にしてた漠然とした不安なんてものはどうでも良くなってきていて、というか、とにかく今を生き抜く事に必死になっている自分に気づいた。

それに気づいた時、家に帰る事にした。


その経験自分が変わったとかは一切思わないけれど、それ以来あまり漠然とした不安に捉われるような事はなくなった。

今も、仕事や家庭での具体的な不安毎日、山のようにあるけれど。

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