2016-11-05

子供の命とポケモンGO

子供の命が事故で失われることと、ポケモンGO規制することのどちらが大切か、というのは論争になっているのを見ても分かる通り、それほど簡単問題では無い。ここで命かゲームか?という対立は完全に間違っており、自明計算可能な命の損失か、計算しにくいがある程度推測可能な命の損失、という対立が実は正しい。何故、直接子供に害を与えた自動車禁止されないか?という問いへの一つの回答として、功利主義的な説明がある。つまり、最大多数への効用鑑みると、年間いくらかの自動車事故による死は仕方がない、という判断だ。簡単に言えば、自家用車禁止すれば回らなくなる経済があり、経済が回らないことで死ぬ人が生じ、生まれてこれたのに金が無かったので生まれてこれなかった人が出てくる。その潜在的な死者と実質の死者のトレードのレートにおいて、実は自動車は許されている。さて、ここでポケモンGOであるポケモンGOもすでに莫大なリソースが巡る経済圏を作っている。ゲームからバーチャルから遊びだから、ということは全く関係無い。その経済圏で飯を食う人々が沢山いる。自動車と同じで基本的には人々のQOLを向上させることで社会的には役に立っているといえるし、基本的自動車の速度域でゲーム内容に制限がかかるなど、その機能が死なない程度のリミットを(社会的要請を受けて)かけている。こうした観点からみると単にゲームから、という理由である産業にだけ厳しい制限をかけるのは割と差別的であるし、倫理的でも論理的でも無いことが分かる。ただし、多くの人はこれを直感的には受け入れられない。経済と言われても、ゲームと同じくバーチャルもので、人の命の方が大事、という主張をするだろう。車を買ったり、怪我の治療をするときに支払う貨幣という存在基本的にはバーチャルなはずなのだが、体感的に分からんもの分からん、という人が多いので仕方ないかもしれない。

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