2016-10-30

インターネット平等

インターネット平等だと思う

こう言うと、そんなことはないと言われそうだが

 

喩えるなら大きな体育館のようなもの

その体育館には全ネットユーザー収容されている

体育館ステージには誰でも上がることができて、そこでマイクを使って喚き散らすことができる

 

大抵の意見無視されるか聞こえさえしない

聞かれたところで野次が飛んで来るかもしれない

もちろん名前を明かしたり、名前をつければ傾聴する人が出てくるので、格差は出る

 

それでも誰だってステージに上がることができる

上がっても、年齢・性別所属などを隠すこともできる

権威もなく、どこの馬の骨とも分からない弱者も、一つの意見を発することができる

 

誰かのココロに刺さることを言えば、拡散されてそれはやがて大きな意見になる

言葉には色がつかず、いつでもソースを辿ることができ、リアルのような不確定さも薄い

これは本当に平等に近い状態

 

しかし同時に気がつく

平等というものが非常に窮屈だということに

結局のところ、視点分散されるから自分の言うことなんてほとんど聞かれないし

誰かのココロに刺さるような事を言わないと歯牙にもかけられない

体育館に全校生徒が集められたときのことを思い出して欲しい

自分いかにちっぽけな一個人なのかと絶望したことはないだろうか

 

それにリアルにおける、有能な有名人凡庸な我々という構図はインターネットにおいても存在する

インターネットは、ただただ厳しくも優しい平等という現実を実現し続けているだけだ

 

それでも誰だってステージに上がることができるんだ

リアルで観客が突然ステージに躍り出ることができるだろうか

テレビ視聴者が突然テレビの中に入ってぎゃーぎゃーとまくし立てることができるだろうか

インターネットならできる、できるのだ

 

いざという時は、誰も聞かずともステージに上って叫ぶべきだ

ここではそれが未だ許されているし

野次飛ばしている人だってステージから降りろとは言わない

 

私は、インターネットにはずっとそうあって欲しいし

できればその手伝いがしたいと願っている

  • 全然駄目 素朴すぎ インターネットには交通量と呼べるものが存在してるんだぞ ある場所で叫んだところで交通のつながりが無ければ声は届かない 体育館じゃねーんだよ

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