こう言うと、そんなことはないと言われそうだが
体育館のステージには誰でも上がることができて、そこでマイクを使って喚き散らすことができる
聞かれたところで野次が飛んで来るかもしれない
もちろん名前を明かしたり、名前をつければ傾聴する人が出てくるので、格差は出る
権威もなく、どこの馬の骨とも分からない弱者も、一つの意見を発することができる
誰かのココロに刺さることを言えば、拡散されてそれはやがて大きな意見になる
言葉には色がつかず、いつでもソースを辿ることができ、リアルのような不確定さも薄い
しかし同時に気がつく
結局のところ、視点が分散されるから、自分の言うことなんてほとんど聞かれないし
誰かのココロに刺さるような事を言わないと歯牙にもかけられない
自分がいかにちっぽけな一個人なのかと絶望したことはないだろうか
それにリアルにおける、有能な有名人と凡庸な我々という構図はインターネットにおいても存在する
インターネットは、ただただ厳しくも優しい平等という現実を実現し続けているだけだ
テレビの視聴者が突然テレビの中に入ってぎゃーぎゃーとまくし立てることができるだろうか
インターネットならできる、できるのだ
いざという時は、誰も聞かずともステージに上って叫ぶべきだ
ここではそれが未だ許されているし
私は、インターネットにはずっとそうあって欲しいし
できればその手伝いがしたいと願っている
全然駄目 素朴すぎ インターネットには交通量と呼べるものが存在してるんだぞ ある場所で叫んだところで交通のつながりが無ければ声は届かない 体育館じゃねーんだよ