2016-10-03

愛犬が亡くなったという話

まず最初に、とても長い。意味もないと思う。

同じ風に感じている方がいるなら、今いる子を可愛がって欲しいと、そう思う。

あと、決して後味のいい話ではない。



愛犬、と言いながら、実際に愛していたかといえば、怪しいものであった。

というのも、この犬は自分人生で2匹目の被害者からだ。


中学生とき飼い始めた小型犬は、自分のしつけと世話がへたくそだったおかげで

お座りと伏せと待てしかできず、あまりにひどい有様に

飼い始めて5年後くらいに父の実家祖母に飼われることになった。

散歩がろくにできないこと、糞尿の処理が面倒だったこと、

頻繁に洗えなかったこと、そしてその汚れや臭いで、

更に近づこう、触れようという気持ちが遠ざかることの悪循環だった。


何よりワクチン狂犬病予防接種に行かせていなかった。

全てにおいて未熟そのもので、そして同じく犬を買い与えた親ですら

毎年狂犬病予防接種義務付けられていることを知らずにいた。

その間フィラリアに掛らなかったのは奇跡だったと思う。


汚れて狭いケージで過ごした5年間は、彼にとってはさぞかし地獄だったろうと思う。

あれはまぎれもない虐待だったと思う(ネグレクトだそうだ)。


祖母に引き取られてからの8年間は、ケージの中でなく、自由に家の中を歩く事ができ、

1日2回の散歩に連れていってもらい、月1回のトリミングシャンプー

不潔であることはなくなった。当たり前のことだった。

引き取った頃はガリガリに痩せていて、カーテンや畳に尿をかけて大変だったと聞いた。


祖母を信頼するようになったら、徐々にそういったことが減り、

よく『笑う』し返事するようになった。

(愛されている犬の写真というものは毛並がきれいとか、瞳が輝いているとか、

それ以外にも、『表情が笑っている』ように自分には見える。)


祖母に引き取られた後も、時々顔を見せるようにしていたが、

あんなにひどい環境に置かれていたにもかかわらず、

彼は自分祖母宅に訪れると大喜びで走ってくる。

久し振りだね、元気にしてた?遊んでよ、と寄ってくる。

自分ますます彼をきちんと世話できなかったことで自分を責めた。


でも、彼にとっては自分から愛情がほしかったのだろうとおもう。

祖母のことは好いていたけれど、それとは別に自分から愛情が。

あれだけ酷い仕打ちをした自分に、尻尾を振る彼の様子を見て、

祖母はたまに嫌味を言ったが、それでもこんなに笑って幸せそうに暮らしているのなら

彼にとってはそのほうがずっとずっといいと思っていた。

あんな飼い方をするより、嫌味を言われるくらいどうということはないと思った。

(その後その犬は胃を患って、ご飯が食べられなくなり、今から5年前に息を引き取った。

可愛がっていた祖母はたいそう悲しんでいた。)


その犬が祖母に引き取られて数年たたないうちに、

また親が別の犬を家に連れてきた。

同じ職場ブリーダーがいて、このほど子犬が生まれたのだという。

ブリーダーのもとで生まれたある犬種の純血種。

もしペットショップなどで購入したら30万くらいだろうと思う。

それを20万で譲ってくれるというのだ、試しに1日だけ家で見てみないかと、

親に提案されたが、この時ばかりは自分は大反対した。

絶対にこの犬は幸せになれないと思ったからだ。


祖母に引き取られた犬があれだけ荒れていたことを忘れたのか。

自分は世話ができないので、全て親が見るのならいいが、

そうでないのなら飼うべきでない。こんなにかわいいのなら他に飼い手が見つかる。

絶対に返してきて、そう何度も念を押した。

その次の日、自分は遠出の予定があり、外泊したため家に2日ほど帰らなかった。

帰宅したらどうだ、察しの通りあの犬はまだ家にいた。

飼うことに決めたのだと。今度は狂犬病予防もワクチンフィラリア知識もある、

散歩も協力して行こう、ということで支払が済んでしまっていた。


それから10年、やはり親は忙しいという理由散歩にいくことはしなかった。

一匹目とまったく、とはいわないが、ほとんど同じだった。

1畳ほどの狭いサークルの中にベッドとトイレ

家に人が尋ねれば、誰かが来たことにワンワン鳴いた。

犬のいる部屋で家族の誰かと誰かが触れ合ったりすると、羨ましがってワンワン鳴いた。

洗濯かごを持てば、また部屋に人が戻ってくることが分かっていたから、やはりワンワン鳴いた。

あんなに放置しているのに、なぜだか親に一番尻尾を振っていた。

自分は多分2番目だったと思う。

この犬もやはり、誰の愛でもなくて親の愛が一番欲しかったのだと思う。


その犬を飼い始めて3年後、大学最後の1年だけ単位が足りず恥ずかしながら

留年してしまったため親に借金を作ってしまった。

就職したとき、きちんとお金で返すと伝えたが、お金は要らないが、

代わりに犬の世話をしろ命令され、仕方なくやっていた。

1日いくらなのか、どれほどの期間世話をしたら元が取れるのか、

結局そのあたりの協議あいまいなままだったため、最後まで自分が世話係だった。

休日の日くらい散歩をしてくれと頼んでも

あなたお金を払ってやってもらっているのだからやれと言われただけだった。


狂犬病予防注射ワクチンの接種、フィラリアの投薬等、

犬を飼育する上で最低限のことは欠かさずやっていたが

日常生活においてはたまに(1.5か月に1回ほど)洗って、爪を切って、

そのまま散歩したり遊んであげたりするだけで

毎日散歩などしたことがなかった。ひと月に1~2回、あればいい方だった。

生かさず殺さず、ただ狭いサークルの中で、生き地獄だったろうと思う。


4年前の今頃、ある朝ご飯を食べたがらなかった。

カリカリでも、おやつでなくても、残さず平らげていた子が珍しいなと感じ、

食べたくないならおやつだけでもいいよ、とジャーキーを数枚

普通のご飯の上に置いて仕事に出かけた。


その日なんとなく、仕事の休憩中に今の犬も広義にはネグレクトなのでは、と思い

ぼんやり犬の飼育のことについて調べていた。


動物愛護団体に賛成するような人の、立派に犬を可愛がって育てている飼い主の意見が沢山でてきた。

それと同時に、こうしてサークルケージの中で一生を終える犬が1/4くらいいることも知った。

ますます責められているように感じて、帰宅したら散歩に連れていこうと思った。


帰宅したら、おやつはなくなっていたが、ご飯を全部食べておらず、

お水も飲めなかったのか鼻が乾いていて呼吸が浅く、ぐったりとして、明らかに普通ではなかった。


残業して、コンビニに寄って帰ったことを後悔した。

最寄りの動物病院はすでに終わってしまっていて、電話をしてもなしのつぶてだった。

しかしながら、時間外でもたまに電気がついていることがあったので、

親の帰りを数分待ってからダメ元でも直接尋ねてみることにした。


親が病院の裏口に先生を呼びに行ってすぐ、犬の咳が激しくなった。

今まで聞いたことのないタイプの咳だった。包んだタオルに薄い血がついた。

しばらくして、先生助手の方が玄関を開けてくれた。

処置室に運んですぐ、鼻と口から血を出して、突如首の力が抜けた。

もうダメかもしれません、覚悟してください、とお医者様が言った。

心拍を測る金属製ピンチを足の付け根の皮膚が薄いところにつけ、

血を吐かせて、心臓マッサージ酸素吸入をしたら、再びもがくように動いた。

そのまま酸素を嗅がせているだけで違うと言われ、吸入器を鼻に近づけ続けた。


肺水腫あるいは心臓疾患と診断された。

肺に水が溜まり、充分な酸素が取り込めず、呼吸困難に陥っているという。

強力な利尿剤を用いて下から水を排出できれば、なんとかなるかもしれない、

でも今日かもしれないので覚悟はしてください。

その間血液検査をしたり、レントゲンを撮ったりしながら様子を見ていた。


時折苦しそうに口から血の混じった水を吐きだしたが、

意識がはっきりして目がうごき、こちらを見る余裕がある瞬間もあった。

2回ほど呼吸が止まり、挿管して気道を確保したりした。

さな体の半分ほどの長さもある管を、入れられる様は言葉にならなかった。

もうやれることは全てやりましたので、あとは酸素室に入れて薬が効くのを待って、

明日の朝まで経過を見ましょう、そういって酸素室に入れた。


今後の説明ガラス張りの酸素室の前で聞いている間、

ずっと犬は自分と親の顔を不安そうに見つめていた。

数分と無かったと思う、突如よろよろ立ち上がり、そして酸素室の奥へ行き、

それから動かなくなった。


大量に血を吐いていた。


診察台に戻し、心拍数を測りながら、心臓マッサージ酸素吸入を続けたが、

ほどなくしてそのまま動かなくなった。


医者様が何度も、力になれず申し訳ございませんと、頭を下げた。

それ以上に、時間外でも嫌な顔をせず、ここまで処置をしてくれたことを

有難く、本当に申し訳なく感じて、ただ、ありがとうございましたと伝えた。


さな箱に入れて、亡骸を渡されるまで、待合室で、

彼が生きた人生はどうであったろうかと考えていた。

親に「もう犬は飼わないで」と伝えた。

自分にも、悲しむ権利などないのではないかと思った。


人生の8割くらいを、あのトイレ寝床とエサ入れと水入れしかないサークルで過ごし、

どんなに寂しい想いをしただろう。構ってほしくて吠えただろう。

あの時急変したのは、お医者様に預けて、帰ってしまいそうな自分たちを見て

1人で逝きたくなかったから、酸素からたかたからではないだろうか。


ペットを愛している方から、後悔するくらいなら親などあてにせず、

あなたが誠心誠意世話をすればよかったじゃないか、と

怒りをぶつけられても仕方のないことと思う。


何故こんなことを書き綴っているのかもよくわからない。罪から逃れたいのだろうか。

親のせいにして、自分のせいにしたくなくて。

頭では、命を預かる責任家族全員にあると分かっている。

けれど、どうして救えなかったのか、愛せなかったのかを考え続けている。


友人に犬が亡くなったことを知らせたら、「愛されて幸せだったと思うよ」と言った。

社交辞令なのは重々承知だった。

けど、そうではない、愛されていたら、こんな終りではなかったはずだ。

今朝餌を食べたがらなかった時点で、医者に連れていけたはずだ。


その日の夜に、合同葬の予約を取り付けて、夜眠れなくて階下に降りたら、

玄関口に安置していたはずの亡骸の入った箱がなくなっていて驚いた。

親が自身の枕元に持っていっていた。

一人で寂しいだろうから、と言った。泣いていた。


彼は生きているうちに、ずっとそうしたかったんじゃないだろうか。

生きているうちに、親の布団で一緒に眠れたら、よかったのではないだろうか。

毛が付くから、犬臭いから、そんな理由をつけて、一度もそうしなかった。

彼は他でもない、誰よりも親の愛がほしかったはずなのに。


泣くくらいなら、毎週のように旅行になんて行かず、

休日の朝にでも散歩に連れて行ってやればよかったのに。

朝餌を食べない事くらい、自分ですら容易に気が付けたはずなのに。

追い打ちをかける言葉ばかりが出て、結局黙っているしかなかった。


もっとちゃんと、絶対に飼ってはいけないと反論できていれば。

あの日、強く反対していれば。


火葬場へは、やはり親は仕事で同席できなかった。

自分はただ、やるせない気持ちだけで申込書にサインをした。

手続きを終えて、支払を済ませ、あとはお別れをしてきてくださいね、と受付の方に言われた。


祭壇の部屋で、安置された亡骸に、

ただ寂しい思いをさせて申し訳ない、

次はもっとちゃんと愛してくれる人のところへ生まれてくるようにと

一人で手を合わせた。


そのときもやはり、自分には悲しむ権利はないと思った。

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