2016-09-25

ソーシャルフォビアについて考える。

話題になりがちなのはGBTフォビアで、LGBTは政治活動をしてLGBTフォビアの撤廃を求めている。しかし次のとおり、なぜLGBTフォビアだけが取り上げられるのかについては疑問がある。

第1に、数こそ不明だが、特定属性に対するフォビアには様々なものがある。アンドロフォビアやジャイノフォビアもあれば、ストレートフォビアや低学歴フォビア、低身長フォビアや、日本人フォビア、血液型によるフォビアなどというものないとはいえない。逆に言えば、フォビアの対象になりうる要素は、多かれ少なかれ、誰でも持っている。

第2に、女性恐怖症を含むフォビアとは、治療可能な恐怖症なのか、本人の資質として放置するべきものなのかが明らかでない。治療方法存在していても、医師らが患者に対するフォビアを持っているために解決しにくいということも考えられる。

第3に、つまり、LGBT派自体異性愛者フォビアではないかという疑問がある。LGBTの人がトランスフォビアやホモフォビアである場合もあるという。

第4に、LGB差別撤廃活動が偽旗である場合も考えられる。政治家などがLGBT派を利用し、LGBTフォビア撤廃を主張するのは、実質的には、多数派異性愛者に罪悪感を与えるとともに「差別撤廃に取り組む意識の高い人間」として自己正当化を図る目的に過ぎないかもしれない。そうした政治家は、もしフォビアの治療方法があっても、表に出そうとはしないだろう。

なお子供に対する性差別は深刻だ。現代では性別を知って中絶することができる。例えば一般的に女の胎児のほうが中絶されやすかったり、児童ポルノ被害に遭いやすいとすれば、それこそ深刻なジャイノフォビアだ。結局女は、LGBTや低学歴でなくとも差別を受けやすいということだ。

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