2016-09-22

まれつきマジョリティであった人にはわからない心理

自分が何らかの分野でマイノリティであるという意識は、おそらくこんな場末はてななんかで増田やってる人なら持っているんじゃないかと思う。

LGBTであったり、中卒や高卒といった低学歴であったり、特定地域出身であったり、人に褒められない職業をしていたり、オタクだったり。

だけども例えばオタクだけど高学歴だったり、LGBTだけど安定した正社員だったりといったように、ある部分ではマイノリティだけどある部分ではマジョリティだったりする。

社会生活を送っていてよくあるのが、そんな自分の中のマイノリティマジョリティがぶつかる場合だ。

極端な例で言えば、「今後この会社では○○の人間は昇進させない」といった方針が出されたような場合だ。

○○の部分には、「オタク」「偏差値一定以下」「LGBT」などの世間的にマイノリティとされる分類が入るとする。

そんなとき、何食わぬ顔して自分には関係ないとばかりにその方針に従うか、それとも自分自身もそうした被差別的扱いを受ける立場であることをカミングアウトして世間に訴えるなりするかというところで対応が分かれると思う。

もともとずっとマジョリティとして生活しており、今後もずっと自分マジョリティであるということを疑わずにいる人にとっては、わざわざ訴えて波風立てなければ自分もいい扱いをうけるはずなのにどうして余計なことをするんだろうと思われると思う。

だがそれまで世間的にマイノリティという部分を持ってきた人の多くは、その「わざわざ」をしてしまいたくなる。

もっと言うと、高学歴正社員だけど、オタクで、女性で、LGBTで、障碍者といった複数マイノリティ分野を持つ人の場合、なぜだかよりマイノリティである立場としての行動をしたくなるものだ。

マイノリティマイノリティであることこそがいつのまにかアイデンティティになるのではないか最近思ったりする。

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