それだけ読解力がないと日常生活にも支障をきたすレベルかと思うが一応解説するぞ。
まず「書いてた」のが、超越的な三人称書き手による語りなのか、それとも登場人物に擬した一人称語りなのか、それによって違う。
おそらく後者と判断するが、前者の場合「事前定義」という言い方でもいいが、小説で多く用いられる後者の場合、一見定義に見える地の文は実は一人称語り手自身の心情描写だ。
芝居のト書きで「この人物は主人公の単なる同級生である」と書いてあるなら「事前定義」だが、お前の友達が会話中に特定の同級生のことを話題にして「まあ、ただの同級生なんだけどね」と言ったならそれは「事前定義」ではなく彼個人の心情の表現だ。分かるか?
さらにそれが「散々書いてた」という。この時点でもう気付きたい。
「ただの一同級生に過ぎない」というのが真なら、その同級生のことばかり何度も言及するのは不自然であり、明らかに矛盾する。ゆえに「ただの同級生」という発言は偽。
だが、一人称語り手が積極的に偽の情報を語るモチベーションがない(示されていない)。よって「自分で自分の感情に気付いていない」ことを表現していると推察できる。
自分で自分の感情を押し隠す理由としては、恐怖、嫌悪や羞恥など自分が負と感じる状態に陥ることから自分を守ろうとしてあえて正視するのを避けている感情があると推測できるだろ。
「同級生を見て」「急に動悸が」と書いてあるんだから、「走ってきたせいやろ」という理解がいかに不自然で読解力に欠けた読みか気付こう。走ってきたなら
・走った→動悸がした→見た
だろうが。だが、
・走った→見た→動悸がした
とわざわざ書いてあるんだから、間の可能性をすっ飛ばして「走った」と「動悸」を結びつけるのが無理ありすぎるだろ。先の言及状況と併せて考えてみても、素直に「同級生」が理由と考えるべきだろ。
なんというか、増田個人が青春恋愛状態と距離を置くのは勝手だが、「そうあってほしい」という自分勝手な願望で周囲のさまざまなフラグを片っ端からへし折って読むべき文脈を全部無視してるだけだろ? 一般に存在する青春やら恋愛やらの感情からいくら目を背けようとしても、一般に理解できて当然な文脈とか行動が読めない人間扱いされて、この先社会との距離が開く一方だぞ。もう少し他人の感情や行動原理に興味をもち寛容になった方がいい。つーかそれ自分が非コミュであることから発生する問題が現代文の問題によって露呈しただけだろ。それを現代文の問題にすり替えたところで問題は何一つ解決してないからな?
現代文のテストの小説に青春恋愛ものとか出してくるのほんとやめてほしい。 恋人ですとも事前に定義されてなくて、ただの同級生って散々書いてたくせに、 バスに飛び乗ったら奥に座...
それだけ読解力がないと日常生活にも支障をきたすレベルかと思うが一応解説するぞ。 恋人ですとも事前に定義されてなくて、ただの同級生って散々書いてた まず「書いてた」のが、...
「同級生を見て」「急に動悸が」と書いてあるんだから、「走ってきたせいやろ」という理解がいかに不自然で読解力に欠けた読みか気付こう。 ここだけでいいじゃん。そんな長文展...