2016-09-20

食べ物残す系のエントリから考える「合理的」ということ

食べ物残す系のエントリはほんとにトラバが集まりやすくて、みんなが食べ物を残すことに対する忌避感を感じてるのがよく分かる(俺もその1人だが)。

ただそこで書かれてる根拠はかなり感情的ものが多い。

中には客観的理由を挙げていると思しきものもあるのだが、そういうのを読んでいたら、どこまでが感情論で、どこから客観的合理的な論と言えるのかが分からなくなってきた。

例えば多かった意見として「食べ残しが減れば、殺される動物植物が減る」というもの

これは感覚的に分かるような気がするのだが、それを裏付けデータ(言い換えると「殺される動植物が多いのは食べ残しのせいである」ということを裏付けデータ)はあんの?と言った時に具体的な統計を出している人はいなかった。

また、これは「”みんなが”食べ残しはいけない」理由であって、「”ある1人の個人が”食べ残しはいけない」理由としてはすこし弱いかな、と思った。

他に多かった意見として「食べ物の大切さを自覚していない」というものがあった。

これも感覚的には分かる。もう少し具体化すると「食べ物として殺されてしまった生き物に敬意を払え」ということだろう。

ただこれは直観的には理解やすいのだが、「死者に対する畏敬の念」を問題にしている辺り、若干感情論のような気もする。

ただここまで来るとどこから客観的で、どこまでが感情論なのかが分からない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん