2016-09-09

ネット論者としてデビューして褒められることにどのような価値があるのか

早慶以上の大学院生の上澄み5%ぐらい、大学教員の上澄み2割ぐらいのは、

ネット上で論者として目立とうと思って戦略的に振る舞えば、

それなり以上に安定的に目立てる実力はあると思っている。

また、そのレベルよりもやや低め、あるいは結構低めのレベルの見識しかもたない人でもネット上で

煽り」の言説に特化していけば、目立つことっていくらでも可能になっている、

 

悩ましいのは、

そこそこにちゃんとトレーニングすれば、将来、それなりにきちんと期待できるぐらいの20代前半ぐらいの子

中途半端ネットで褒められたり、目立つ小技を覚えて、小さなコミュニティ内で目立っているのをよく見かけること。

あれって、どう評価すればいいのか、微妙だよなあ、と常々おもう。

 

ネット評価されることがうまく自信につながって、本人の成長にうまく活かされるのならばいいのだけれども、

低いレベルで安定してしまって自己模倣をしてしまう人もけっこういるからなあ。

 

まあ、別にネットでの評価だけじゃなくて、仕事での評価にせよ、学会での評価にせよ、友人から評価にせよ、

評価を得たところで満足してしまったら、そこで成長はとまる。もっとも、無限に成長しろと言いたいわけではないが。

だけれども、自分のある種の能力というのが、いまどのような状況にあるのか。

自分が本当に目指したい地平はどこなのか、ということを

何であれ、自覚的にきちんと自己評価をはっきりとするクセを付けなければいけないよな、としみじみと思う。

(これは半分は、自分への言い聞かせでもあるのだけれども。)

 

低いところでとどまると、せっかくポテンシャルがあるのに、ある水準以下にとどまる言説しか繰り出せなくなっていく。

若手論客的な人を横目にみていると、そういうことが頻繁に見受けられるので、ほんとに残念だよなと思う。

別に誰とは言わないけれども、まあ、若くて名前が出るような人はネット上で知ったかしてる有象無象なんかよりは

いくら馬鹿にされてても、たいがいはそれなりに教養もあるし、頭いいとは思うのだけれども

 

もっとも、知識人としてのキャリアでなく、実業家としてのキャリア人生の途中で切り替えたいと思う人もいるし、

そういう人は別に、好きなように人生あゆんでくれればいいとは思う。

 

まあ、本人の自覚問題だよな、とほんとに。

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