2016-09-01

原発をめぐる情景   ~10万年後の政府

制御棒処分、70m以深 国の管理10万年 規制方針

http://www.asahi.com/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html

まずタイトルを読んで、乾いた笑いが出た。

自分は「放射脳」というほどではなく単に国の原発政策にやや懐疑的な一市民に過ぎないが、

それでも、「国家」とか「政府」が歴史的にみて10万年続くものではないということくらいは常識として理解している。

10万どころかたった1万年でも、保証できる存在など今の地球上に存在しないだろう。

近代国民国家だけを意味するのでないとしても、1万年続いた組織体などまだ人類はもったことがない。

なのに10万年

政府は、10万年先にこの土地居住する「なにものか」に成り代わって、勝手

その使用権を代行し用途を決め権利を先取りしてツケを回しているわけだ。

そこまでしないと、原発というものは維持できないのか。

もし10万年分の借地権料が、先払いなら、私たち未来世代にいったいいくら支払えばいいのだろう?

そして10万年分の借地権料の支払いを、どうして利益を得る我々でなく、未来世代に背負わせるのだろう?

10万年分の手形勝手に発行して

ようやく原発事故の処理が前に進むらしい。

過去50年間に数え切れない数の事故を起こしながら。

今後いったいどれだけの手形必要なのか、誰も数える気すらなくしたまま原発は続く。

1000年後まで管理しますよ」と私が保証してもあなた保証しても、誰もそれを信用しない。

それでいい。誰もその寿命を超えて何かを保証することなどできないと思う。それが健全常識というものだ。

なのに「国家」と「10万年」という取り合わせを、奇妙に思わないことがとても奇妙だ。

常識を失わなければ維持できない。それが原発というものなのか。

「信頼せよ」という。「任せろ」という。常識を失った顔で言う。

まずその顔が信頼できない、と困っている私たちの顔から徐々に常識が失われていく。

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