2016-08-28

宗教リア充二次元

ここ数日、宗教の成り立ちに興味を持ち、適当に調べていた。

それで改めて思ったのは、宗教というのは、本当に当初の原型なんかねえなということである

キリスト教にしても、イエス自身はせいぜいユダヤ教改革派ぐらいの立ち位置だったのが、

パウロ世界宗教への道を開いた結果、今のようになったらしい。

自分は、特に宗教心もないが、たぶん統計の上では大乗仏教信者ということになっている、

どこにでもいる平均的な日本人だ。

上座部仏教については、「あ、東南アジアあたりでメジャーなやつでしょ」ぐらいの印象しかない。

しかし、どちらが当初の精神を引き継いでいるか考えてみると、もう明らかにあっちだと思う。

確かに、ブッダ王族で、当時としては恵まれていたし、妻も子もいたらしいが、

あんな思い悩んでばかりいたんでは、俗世で生きてて幸せなわけがない。どちらかと言えば我々サイドだ。

きっと、人付き合いも何もかもが煩わしいと感じるタイプだ。

どう考えても、大乗仏教の方がおかしい!

どうやら、宗教というのは、仮に個人の救いという小さな問題から始まったものだとしても、

どこかの段階で「勢力拡大」というものが、教えのうちに組み込まれものらしい。

誤解を恐れず言うならば、それはリア充に乗っ取られるということである

他者を救わねば自らの救いもない、とか細かい理屈はあるが、要は群れたがる人間が主流派となり、

そうでない人間はそこから追いやられたと考えるのが自然だろう。

おそらくキリスト教もまた、リア充パウロに乗っ取られてしまった結果が今なのだ

イスラームちょっと別だ。あれは最初からリア充サイドだったとしか思えない。

ムハンマド商人軍人としても有能だったらしいし、自らジハードなんて言っちゃってる。

そしてなにより、幼妻であるリア充でなくてなんだというのか。

自分社会性がないので、リア充のいるところでは幸せに暮らせないと思っている。

そもそも、他人との交流苦痛だ。人に好感を持ってもらえるような容姿もなく、話せば人を不愉快にする。

まり他人を癒やす能力がないということだ。

そんな人間が、他人に癒やしを求めるべきではない。

から自分を救うものがあるとすれば、それは趣味以外にないと思っていた。

確かに、その辺を歩いている人の真似をするよりは、二次元にはまっていた方が気が紛れた。

しかし、その趣味もまた、自己完結する世界ではなかったのである

そんなことは最初からわかっているつもりだった。

だが、この世界にもリア充侵入し、そして幅を利かせている今、自分は肩身の狭さを感じつつある。

ライブに通い、SNS他者と絡む。そういう人間が、やがてここでも正統派となり、

自分はまたどこかに散るしかないのかもしれない。

どうやら、宗教二次元も、もちろんインターネットも、安住の地にはなりそうもない。

自分はどこに行けばいいのだろう。

  • 仏教のことは知らんけどキリスト教の勢力が拡大したのは ローマ帝国が国教化&優遇したからでは。 パウロ布教から250年くらいくすぶってたし、ミトラ教に負けてた。 イスラムは単に...

  • おそらく聖書もコーランもお経の1つも通読せずによくここまで展開したな。

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