若い頃のネガティブな自分に会ったら、思わずそう言ってしまうと思う。
大人になると、個人の力の限界や、他の人との差はそのなに大きなものではないと知る。
世間でいいとされているものは必ずしもそうではなく、感じ方もひとそれぞれで自分に合ったものを選択すればいい。
”今の記憶を持ったまま”若いころに戻れたら、どんなに素敵なことかと夢想する。
しかし、よく思い返したら、若いころはいっぱいいっぱいだった。
優劣の差が明確につけられるし、自己肯定感なんて無かった。
弱いと切り捨てられるから堪えるしか無かったし、外の世界も同じようなものだと思っていた。
自分が好きなものは好きだと思ってはいけないものだと思っていた。
感情を偽らなくちゃいけないから、道理で動かない人間に対して攻撃になってしまっていた。
今でこそ、外の世界に出たからこそ、子供時代が狭い世界であり、特殊な世界だと理解できている。
だが、狭い世界で生きている人間にそのことを理解させるのは難しい。
仮に、ある人物がいきなり現れ、
「この世界は実は仮想世界なんだ。今すぐ死ねば現実世界に戻れて、もっと生きやすいし楽しいよ」
そう言われて信じられるだろうか。
いじめに遭ったことどもに対して、「狭い世界だからもったいない」、「逃げればいい」、そうアドバイスする気持ちもわかる。
それも彼らにとっては信ぴょう性のない言説に過ぎないのだ。
自己肯定感の低い者に対して、可能性なんてものは自分をがっかりさせる得るギャンブルに過ぎないのだろう。
結局のところ、若いからなんでもできるかどうか、それを理解するには時間がかかってしまうのだ。
もちろん個人差はあるだろう。
しかし、落ち込んでいる若者に、「若いからなんでもできる」と言うのは戯言でしかなく、
彼らを励ますという目的を達成するのであれば、それは説得力はなんたるかを考える必要があるのだ。
たけを