2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816022128

まれ育った街は田舎で、熱心なプロテスタント系の幼稚園に通っていた。先生に引率されて、頻繁に近所の養護学校に遊びに行っていた。興奮して口から泡が出るくらいしゃべるお兄さんもいたし、手を叩き続けてるお姉さんもいた。みんな好き好きな色ジャージを着ていて羨ましかった。(私は園の体操服でブルマなのがちょっと嫌だった) 一緒にお遊戯をした。手を繋ぐのは、本当は少し怖かった。でも、嬉しくても怖くても叫ぶ、表現が豊かでわかりやすい人が多かった。

その後、母の知人のお家にうまく動けない女の子が生まれて、友達になった。まーちゃんと言った。まーちゃんお腹がすくと油揚げとか勝手に食べちゃうので変わってるなーと思ってた。基本ぼーっとしてたけど、赤ちゃんみたいな色のない笑顔で笑う美人だった。

大人になって横浜に住んでいる。あの時あんなに周りにいたちょっと変わった友達に、この町では全然会わない。元町を歩くのも、みなとみらいお茶するのも、伊勢崎モールで本を探すのも便利で楽しいけど、あの友達たちがいるはずなのに見えなくてなんだか後ろめたい気持ちになる。

記事への反応 -
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    • 身体障害とコスプレを同一視する意見があったのか 意味が分からない

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