中学生のころ、部活で軽いいじめに遭っていた。いじめなんていうほどのものでもない、と言われたらそれまでかもしれないけど、「された側がそう感じたらいじめはいじめ」という論理に従えばいじめになるだろう。実際、それが原因で部活を辞めた友達もいた。
友達も少なかった。25分の昼休みを誰とも話さずに過ごすこともあった。授業の間の休み時間はすることがないからとりあえずトイレに行っていた。そんな生活だから、部活でいじめられていることを話せるような人もいなかった。
本当に辛かった。自分で選んで入った部活でいじめにあっているということの責任が自分にあるような気がして、親にもなかなか話せなかった。今日こそ誰かに話そうと思いながら朝を迎えて、結局何もできずに一日が終わり、ベッドの中で泣く、そんな日が続いていた。
今思うと、よく毎日ふつうに学校に通えていたな、と思えるくらい、何も楽しいことがなかった。ただ、勉強がある程度できた(といっても田舎の公立中学校の中で上位だったというレベルの話だけど)ので、テストでいい点を取ることだけを楽しみに学校に通っていた。
そんな生活を送っていたある日、自分の中学校の卒業生であるという男女二人が学校に来て、体育館で講演をしたことがあった。
その二人はシンガーソングライターとして生計を立てているらしく、どちらかがギターを弾いて、もう一人が歌う、そんな形の二人だったと思う(当時の自分は音楽にほとんど興味がなかったのでよく覚えていない)。何曲か披露したあとで、後輩である自分たちにメッセージを届けようという思いだったのだろう。
おそらく女性のほうだったと思う。こんなことを言った。
「中学生であるみなさんのように若い頃は、毎日が楽しいことばかりで、未来が希望に満ちていると思います。今が一番楽しい時期です。今の生活を思いっきり楽しんでください」
この言葉に、当時の自分は奈落の底に突き落とされるような思いをしたのを、今でもよく覚えている。
今のこの何も楽しみのない生活が、楽しいことばかりの毎日なのか、と。
これからの人生で、今が一番楽しくて、これからはこれ以上に辛い生活が待っているのか、と。
今になってみれば、自身の思い出を美化しようとする大人の価値観の押し付けでしかない、そんなものは気にする必要はない、と思えるけど、当時の自分にとってはその言葉が全てであるように感じられた。
そのあとの自分の人生は、その言葉のようにはならなかった。高校に入ったら友達ができたし、放課後に他愛もない話で盛り上がって、気が付いたら2時間以上経っているような経験を通して、「友達と話すのはこんなに楽しいものなのか」と気づいたのも高校生になってからだった。
大学生になってからも、辛いことはあったけど、今になって振り返るといい思い出だったと思うし、少なくともあの暗黒の中学校時代とは比べ物にならない。
高校や大学は「自分の母校」と誇りを持って言えるけど、中学校についてはそうは言えない。
自分のなかで中学校の3年間というのはそういうもので、その生活のさなかに「今が一番楽しい時期」と自分の価値観を押し付けてくる大人に辛い思いをさせられた。
中学校時代が一番楽しかった、という人はたくさんいるだろう。というか自分のような人間のほうが少ないのかもしれない。
それにしても、自身が楽しい生活を送ったからといって、そのことを美化して押し付けてくるような大人に、自分は絶対になりたくはない。
その言葉で、当時の自分のように未来に絶望してしまう少年少女がいるかもしれないから。
(7/29追記)
まだ匿名で日記を書き始めて間もないのに、予想以上に多くの人に読んでもらっている。今までtwitterやはてなブログでもここまで反響があったことはないので、自分の書く文章を読んでくれる人がこんなにいるとは嬉しい限りだ。
その中でも特に驚いたのが、「中学時代なんて楽しくない、大人のほうがずっと楽しい」と共感してくれる人の声の多いこと。
偶然なのかもしれないけど、自分の周りには「中学時代に戻りたい」と言っている人が何人かいる(その逆はあまりいない)ので、感覚としてはブコメの反応は意外だった。
その中の一人、自分の姉は、「そこまで大学に進学して何かを勉強したい、いい大学に入りたい」という意思も強くないのに地元の進学校に進学してしまったせいか、「高校はあまり楽しくなかった」「中学のほうが友達がたくさんいた」と言っていた。対して、自分は、ある程度いい大学の工学部に入りたいという気持ちが高校入学のときにはあったし、一つの話題についていろいろな視点から話をするのが好きだった(入学当時は自分でも気づかなかったけど)ので、そういう話のできる友達がいる進学校の雰囲気がとても合っていたのだと思う。勉強や部活に一生懸命取り組んでいる人が尊敬されて、友達も多い、そんな環境にいられたことは今になってもよかったと振り返っている。姉のほうは、勉強ばかりやっていて、身だしなみに気を使わないような人を少し敬遠するようなところがあったので、そういう意味であまり合わなかったのかもしれない。
このような経験を踏まえて自分がもし現役の中学生や高校生を前にしたときに何ができるかというと、「今が楽しい時期だよ」と言うことは当然しないし、「大人は楽しいよ」と言うこともしない。ただ、よりよい未来のために今できることに励んで欲しい、と言うことくらいしかできないだろう。
※「追記から突然、。じゃなくて,.になっている」という指摘をされたので修正しました(学生の頃、レポートを書くために,.がデフォルトで表示されるようにPCを設定していて、そのPCを使って追記したため)。
http://anond.hatelabo.jp/20160728001051 >その言葉で、当時の自分のように未来に絶望してしまう少年少女がいるかもしれないから。 大人や教師役も結局自分の人生・経歴をコアにして語るわけ...
わかる 自分も小3~高3まで学校ではひたすら一言もしゃべらなかったわ 中学に入るまでは友達もいて学校終わったあとは遊んでたけど 中学からはほぼ友達もなしでしゃべる相手は...
http://anond.hatelabo.jp/20160728001051 すげーわかる。 あと、「あの頃は怖いもの知らずだった」的なこと言う大人も追加で。 俺なんか小学生のときからずっとビクビクしてたぞ。 無敵感、万...
子供時代が地獄だったやつって大人時代が地獄のやつに思いを巡らせる分量足りないけど 双方の立場が違うだけでどっちもやってること同じやんけ
【子供時代が地獄だったやつ】が周りの大人に「今が一番幸せな時期です、今を楽しんでください」と言っている事例を早く さぁ、早く
あんま覚えてないけど校長先生の話とか結構そういうのあったんじゃない
双方同じなのは相手へ思いを巡らせる分量足りない点であって 地獄のやつに今幸福ピークだよ指摘をしてる点じゃねえだろ
【地獄のやつに今幸福ピークだよ指摘をしてる】から、相手へ思いを巡らせる分量が足りてないと指摘され得るんだろ? 馬鹿か?