810はいすゞ自動車がかつて製造していた大型トラックである。ネーミングの由来は開発コード「810」=「ハッテン、発展」である。
1983年8月、ニューパワーシリーズの後継車として登場した。
1994年11月全輪駆動車を除き生産終了。後継車はギガである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%99%E3%82%9E%E3%83%BB810
第百七十六条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、六月以上十年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする。
第百七十七条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。
犯罪報道上、『淫らな行い』というのは刑法177条(強姦罪)の「姦淫」に対応した言葉として、女性器に男性器を挿入する行為に使われる。
『淫らな行い』と対応する表現として『わいせつな行為』があり、これは刑法176条(強制わいせつ罪)に対応し、挿入以外の幅広い性的行為に使われる。
一番反応してくれる為、いじられやすいというのがある。
簡単に特徴を挙げよう。
説明不要。四天王の中で最も知名度があり最もつまらなくなってしまった。
昔は面白かったんだけどね。
タレント。
ネタにしても届かない。
四天王の中で最も小物。
何より面白くない。
恐らく暇なのであろう。
俺はトラックに乗らないから、路駐トラック糞野郎は永遠に滅んでしまえと思ってる。
それはともかく自転車の規制なんて既にあるんだから、守らせてから言えよって話なんだけどな。
個人的には免許制でもいいと思うけど、だったらさっさと法律作れや。ブーブー言うなら政治家に言えよ。
僕は何のスキルもなく頭も悪いコミュ障でデブで不細工でまさにゴミクズなんだけど、自分が売ってる商品のことはとても好きだ。
色々出来ないことも多くて不便なとこもあるけど、すごいことが出来る商品なんだ。
僕はゴミクズの自分自身の代わりに自分の売っている商品を自分自身として思い込んで、そうして人生ではじめて自己肯定感を覚えることが出来て、本当に毎日楽しかった。
すごい商品だけど色々出来ないことも多くて歯がゆい想いをしていた。「出来ないこと」はいつも同じだからだ。この点をクリアしたらもっと売れるのに、もっと使いやすくなるのに、って。
僕が入社した当時の上司は、商品の改良をほとんど諦めていた。そんなコストがかかることを口に出せる空気ではない、と上司は思っていたように記憶している。
だから僕も、改良は出来ないという前提でいた。僕の上司も辞めてしまって、たくさんのひとがいなくなって、結果的に、僕みたいに何にもできないクズでもそこそこの裁量権を持てるようになったんだけど、大幅な改良は出来ないと思い込んでいたし、でも何か変えなければいつか時代遅れになって全く売れなくなってしまうだろう、という焦りが常にあって、僕はそれをとても恐れていた。僕にとっては、やっと意味を持ち始めた僕自身の価値が再びゼロになることと同義だったからだ。
だから、改良に着手出来ることが決まって、僕は本当に嬉しかった。本当に嬉しかったんだ。
そして、そのプロジェクトが取りやめになってしまった今、僕の毎日はまた無価値なものに戻った。
取りやめになったのは、僕がやっぱりコミュ障で仕事ができなかったことが原因の1つ。いや、僕ごときが経営判断の材料の1つになったなんておこがましいか。あなたが担当でなくても取りやめていた、と偉いひとは僕に言った。それは自暴自棄になった僕を慰めるために形式上発せられた、発することを強いられた空虚な言葉だったような気もするし、結局のところお前に出来ることなど何もなくお前の存在はまったく影響を及ぼさないのだ、という正当な評価あるいは本心からの感想だったような気もする。
いずれにしてもプロジェクトは取りやめになった。僕はお情けで仕事を辞める猶予をもらって、まだ仕事を続けさせてもらっている。
作業自体はプロジェクト開始前と同じなんだけど、だからこそ、毎日地獄だ。
すごい商品だけど色々出来ないことも多くて歯がゆい想いを毎日するんだ。この点をクリアしたらもっと売れたはずだった、もっと使いやすくなるはずだった、と、僕にもっと価値があれば実現出来たはずの未来を想いながら、自分自身の無価値さを思い知らされ、それらすべてを押し隠し、笑顔をとりつくろってクライアントに惰性で商品を売り込む。なんとむなしいことだろう。無価値な僕にはぴったりな仕事かもしれない。
そもそも無価値な僕に認められたのは、仕事を続けることではなく、仕事を辞める猶予だ。来年の5月納品の案件について、担当欄に僕の名前を入れて見積書を作る。その頃たぶん僕はこの会社にはいないが、たぶん商品自体は存在するだろうから問題はないだろう。
あのとき仕事をやめたくなかったけど、やめないことで僕に何か出来ると勘違いしてたみたいだ。
ただでさえ仕事が出来ないくせに、このところずっと仕事が手につかなくて、なんでこれで給料でてんだろ、って、いっそ不思議だ。
あのとき辞めてた方が、この商品にとってもよかったんだろう。僕がいなくなれば、もっと頭の良いひとが受け持ってくれてきっともっと良いものにしてくれるに違いない。
無価値な僕自身から目をそらして、思考を停止させた社畜のまま死にたかった。
なんて贅沢な苦しみなんだろう、さっさと死ねばいいのに。
自分はダサくないと相対的にいけない気がするし、そもそもおしゃれがわからないっていうのは本当におしゃれ上級者やまともな服装のセンスがある人にとって理解されない。
そもそも変化に対してかなり消極的だし、男物の服は意外と高い。おしゃれな人はトライ&エラーでセンスを高められるけど、かなり大人になった段階でダサいことに気付いても、変化の段階の微妙な服を買ったりしている時の自分や他人の反応に耐えられなくないか?そうではないのか?どうしたらいいのか?
本当にそうだろうか?
理想の刃物とは、切れ味鋭く、粘り強く、長切れする、といった両立し難い性質を高次元で実現した刃物だと思う。
瞬間よく切れれば良いというものではない。
とはいえ、切れ味の世界一の刃物はなにかと考えると、カンナだと思う。
2ミクロン!
具体的な長い話が必要だったり、スケジュールの確認や調整が必要だったりすると、即答できないから結果としてスルーになってしまうのでは。
「返事いつでもいいんで!」って一文足したら気持ち的に義務感がなくなって結果として返事来るかも。
話しても否定されることが多いとか
なんかあるのかもしれない
ここがごっちゃになった意見が見られる
文春は別に法律用語として使ってないだろ、ミスリードを誘ってるかも知れんが
では「淫らな行い」とは何を指すのか
一方で、
金も名声も社会的な力も持った60歳の既婚者の男が嫌がる20歳の女子大生にキスを迫る図というのは
まあ書かれた側は否定してるわけだし事実かどうかは分からないんで
元気出せよ、都民
なんつーかゲーム自体じゃなくてコミュニケーションを楽しむツールなんだよね
aukusoe ドラクエ1の戦闘画面に勇者のレベルが表示されているのは横で見ている人が「そのレベルでその敵はマズい!」などの声をかけられるため。というエピソードがある程度には昔からゲームはコミュニケーションツール。
ttp://blog.livedoor.jp/kemonostyle5555/archives/50702501.html
ついでにこれもやるよ
http://anond.hatelabo.jp/20160721230105
30歳を迎えてふと「やっぱりパートナーが欲しいな」と感じたので、婚活を始めた。
合コンやら紹介やら婚活パーティーやらでそれなりに楽しく話して、
その先がどうしても繋がらない。
お断りされる事自体は仕方が無いので、改善して次に活かしたいと思うけど、
相手の「一旦ポジティブな反応をしてからスルーする」という反応を
相手がそれに対する返事に加えて「私は○○へ行ってきました!」と
話を振ってきたとき。
少なくとも会話を続けるつもりがあるんだな、と思って
「聞いて欲しいことがあるのでお願いします!」
みたいな反応が返ってきたときも、
「一旦ポジティブな反応をしてからスルーする」っていうのは普通のこと?
いちいち気にしないほうがいい?
正直、誘いを断るポイントはあえて作ってるつもりなので、
その気が無いなら最初から断ればいいのになぁ・・・って思ってる。
こんな反応する時の心理を教えてもらえないだろうか。
マジで困ってる。
人って成長しないもんなんだな。
感心してしまった。
2年後に非表示リスト初期化しても、そのときもやっぱりバカ言ってそうだな。
自分じゃどうしようもないことで、この先ずっと言われるのだ。
これから出世する人も出てくるだろうし、社長となる人も出てくるだろう。
老人になったら、ゆとり老人と言われるのだろう。
革命でも起こして、全部を牛耳るくらい、ゆとりに反感を買うと社会的に抹殺されるような、そんな状況にでもならない限り言われ続けるのだと思う。
こじまのどこに憧れるのか知らんけど本当にいるの?
こう言う良心が全くなくて性欲妖怪みたいなおっさんを男は好きだなーって意味よ
小学校低学年の頃は何を書いても何も言われなかったけれど、高学年から中学校時代の美術教師が
写実絵大嫌い先生だった。
が主張であり、それに感化されてか、同じ主張をする生徒も多かった。
そして実際に、写実っぽい絵を描いた人の成績は悪く、モネみたいな絵を描く人が好評化だった。
でもモネはどうしても好きになれなかった。
別に嫌いではない、何かのきっかけで好きになれそうだけど、今のところは写実絵のほうが好きだ。
でも写実っぽい絵を描くと酷評された。
「なんでそんな絵を描くんだ、写真でも撮ってろ。絵でしか表現できない事をやれ」
社会人になった後、知人の付き合いで絵画を見に行く事になった。確かフェルメール。
その時は別になんとも思わなかったんだけど、その後時々一人でも絵画を見に行くようになり、
この間のカラヴァッジョを見ながら、ようやく気がついた。
美術の先生はきっと写実の絵を描く人に彼女でも取られたんだろう。
今更、ようやく呪縛が解けた。
ようやく絵が描けそうだ。
最高に下手で写実どころの話ではないんだがな。