オタクやめれば彼女ができるよ! と言われて、オタクをやめたけど彼女はできなかった。
童貞卒業すれば女の良さに目覚めるよ! と言われて、ソープで何度もやってみたけど、女性に対する感覚はあまり変わらなかった。
素人童貞卒業すればセックスを好きになれるよ! と言われて、死に物狂いで彼女を作ってセックスしたけど、正直風俗嬢と大して差がなかった。
ちょっと変態っぽいプレイをすればハマるかも! と言われて、彼女の理解を得て色々と試してみたけど、「まあ、こんなもんか」と感動もない。
その彼女とは1年くらい付き合った後、自分はまだ好きだったけど、色々事情があって彼女と別れることになった。
彼女が仕事をキャリアップしたくて海外に行くのがメインの理由だったから、いちおう喧嘩別れじゃないのが唯一の救い。
別れの理由をそれ以上詳しく書くつもりはないけど、円満にお別れしたから後悔はあまりない。
でも、別れた翌々日の朝になって目覚めたら、なんか自分がニンジンを目の前に垂らされた馬車馬みたいでバカバカしくなってきた。
オタクをやめて彼女を作るのに必死になっていたときも、中毒者のように風俗に通っていたときも、別れた彼女と付き合っていたときも、
何か他人が自慢気に語る「幸せな私」みたいのに憧れつつけていただけだったんだな、と。
他人の感覚は知らないけど、彼女ができてもそんなに人生が猛烈に幸せになれたわけでもないし、
セックスはそれほど気持ちがいいものでも楽しいものでもなかった。少なくとも自分には何か特別な価値を見いだせるほどのものはなかった。
自分が何か人生に物足りなさを感じるたびに、物知り顔の人たちが「君はまだ本当の幸せを知らない」とでも言いたげな感じで
あれをすれば幸せになれる、これをすれば幸せになれる、みたいな主張をすることを真に受けて生きてきた。
はてな的に言えば、他人のマウンティングを真に受けて生きていた。人生の価値判断を他人にゆだねてきた。
プロ以外で経験人数ひとりで何言ってんだとツッコミが来ることを承知でいえば、
よく考えれば、他人が言うように「若い時は一日何回もオナニーした」というほど以前から性欲は強くなかったし、
女性に対する猛烈な性的欲求もなかった気がする。あくまで恋愛は承認欲求をベースに友達感覚の延長って感じだった。
そもそも感受性や身体感覚なんて人それぞれであって、セックスで天にも昇る心地になれる人もいれば、
自分のように「まあ、こんなものか」と大した感慨を抱かない人間もいるんだろう。
セックスが気持よくてしょうがいない人は、恋愛や性行為にのめり込むだろうし、そうでなければ淡白になる。
「君はまだ本当の愛を知らないんだよ」とかって言う人は、たぶん本気でそう言ってるんだろうけど、
それはその人と全く同じ感受性と身体感覚を兼ねそ備えてはじめて体験できる世界であって、
逆に、自分がとある分野でオタク(アニメ・マンガではない)をやっていたときの興奮は、
たぶん普通の感受性や身体感覚を持つ人には経験できないものだったのだろう。
(周りから「何がそんなに面白いの?」ってよく指摘されていたから)
どちらが正しいってことじゃない。他人は他人、自分は自分ってだけのことだ。
中年近い年齢になってやっとそんな当たり前のことに気付けた。
他人のマウンティングを真に受けて、自分はまだ本当の幸せを知らないんじゃないか、なんて自分に疑いを抱くのをやめるべきだったんだ。
人には自分の幸福を追求せざるを得ない業みたいなものがあって、それを他人に外注することはできない。
(そういう傾向が極端になれば、カルト宗教にハマったり、悪い人に貢いだりする方向へ向かうのかもしれない)
他人と同じように喜んだり楽しめないのはどうしようもない。それを前提にどうやって幸せになっていくか模索するしかない。
とりあえず童貞卒業して、恋愛をやって、それで別れて、ようやく当然の事実に気付かされたってだけの話だ。
たぶん多くの大人は社会人になる前にそういうことに気づいてる。だからみんなメンタルが強いんだろう。
つまり、ニンジンは他人からもらうんじゃなくて、自分で育てて自分で収穫するしかないんだ。
馬車馬のような人生をやめようと思ったら、不安や焦燥感、劣等感、孤独感なんかとうまく付き合っていくしかない。
これから先の人生でも幾度となくマウンティング受けていくんだろうけど、
正直もうそういう指摘をいちいち真に受けて焦ったり、したくないことしたり、苦しんだり悩んだりする必要はないんだな、って
そういう大切なことを学んだだけでも良しとしようと思う。
下半身切り落とせよ
下半身切り落とせよ