2016-07-08

子供を産むということは、一つの意識ある命を

天国かもしれないし、地獄かもしれない、

というか多分天国はほぼ絶対ありえないけど、

地獄結構ありうる世界に産み落とすということ。


親は、子供を産むことの意味リスクを事前に知ることができる。

無論、万人が知識を満足に得られる訳ではない。

親は、人生の中で産むタイミングをある程度コントロールできる。

勿論、万人がその権利行使できる訳ではない。

親は、最悪の場合子供を堕ろすという選択ができる。

当然、その選択を行うことは私ごとき想像を絶するストレスがあるだろうし、

宗教道徳社会的外圧によって、単に医療限界によって不可能である場合の方が多いだろう。


まれる側にはそのような機会は一切皆無である

どんな親の、どんな時期に、どんな時代に、

どんな宗教に、どんな社会に、どんな星の下で生まれるのか、

選択する機会はない。


例えるなら、夜寝ている間に、部屋に忍び込まれ印鑑を盗まれ

勝手婚姻届を出されて受理されてしまうようなものかもしれない。

しかしたら親が子作りをした晩に、夢で産まれてくる前の魂か何かと面会して

契約書にサインでもして、そのことを忘れているのかもしれないが


自分自身人生をどれだけ努力したところで完全に自由にはできないのと同じように

親は子供幸福はおろか、生存すら保証することはできない。

まれ20年で自殺するかもしれないし、15年で他殺されるかもしれないし、10年で餓死するかもしれないし、

5年で事故死するかもしれないし、3年で親兄弟が殺すかもしれないし、1年足らずで病死するかもしれない。

胎内で死ぬことすら受けられる医療によっては珍しくもないだろう。


から子供を産む、ということに責任など持ちようがない。

親、というより人間責任なるものを持つには無力すぎるからである

人間にはどうしようもないことは他にも無数にあるが、出産特に不可逆性が強い。

例えば物を壊した責任、盗んだ責任、ケガをさせた責任くらいなら被害者が納得する賠償もありうるが、

産んだ者に対して幸せ保障することも、なかったことにすることも不可能である

人を殺した責任など持ちようがないことと、もしかしたら似ているかもしれない。


ここに重要なのは子供を産むことは善であるとか、悪であるとか

好ましいとかそうでないとか、必要か不必要かとか、本能だとか愛情だとか

そういった瑣末なことではなく、

それだけ恐ろしいことである、ということだ。

それだけ恐ろしいことをしている者は、勇敢なのか無謀なのか


恥ずかしいポ エム終わり

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