2016-07-07

冷笑系はなぜそう呼ばれるか

冷笑系という言葉最近微妙流行っている。

もちろん人の数だけ定義があると思うが、

僕は「それを言うことによって気持ちよくなっているかどうか」というのをその本質として挙げたいと思う。

例「○○は××っていうリベラルは△△はどうのこうの〜(意味不明アナロジーだが、本人の中では成立していて、それを言うことで何らかの快楽を得ているらしい)」

「『日本死ね』は「反日国賊売国奴」と同じく、「「異質」な他者を排撃する言葉」ではないかと思えたので〜〜」(本気でそんなことを思っていないがあえて言うこと、そしてこれを言うことで「右」のレッテルを貼られ、大げさに狼狽してみせることがなぜか気持ちいいらしい)」

(念のため付け加えておくと、僕は「日本死ね」に対する肯定的リアクションには否定的立場だ)

ここで「でも左派リベラルこそ真に気持ちよくなっているのではないか?」と思ったアナタ、その疑問は正しい。

ただ「アベ政治を許さない」みたいな、具体的に何を言っているのか分からないけど気持ち良くなっている、そんな言葉たちは「デモから許される」という弁解が一応ある。祭りの場には祭り言葉を、ということだ。

ちろん、それがデモから溢れて日常に浸透し、そしてそれに対する反発が起きているのが現状であるが。

まり、「気持ちよくなっているかどうか」は根源的には右か左か、リベラル保守かは関係がない。

よって、この観点からステレオタイプイデオロギーをこえて「来るべき人民」を構想することもできるだろう。

ジョセフヒースが「今の政治は右か左かで分かれているのではない、正気狂気かで分かれているのだ」とかなんとか言ったのはこの観点から理解すべきだと僕は思える。

もっとも、ヒース自体国内では冷笑系=狂気の側に消費されているようだけれども。

  • 冷笑主義、シニシズムはだいたい後出しジャンケンなんだよ 偉そうな上に無責任 他人の言ったことを後から笑って揚げ足取ればいいだけ その笑う対象も空気を読んで選んでいる だから...

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