2016-07-05

車を譲ることから思う施しと負担

今日通学していると,信号前で1台の車が左折しようとしている車を先に譲った. 信号前の道路には車が複数台並んでいて,その途中にある道路から侵入しようとする車を先に行かせたという普通の話だ. そうして,もっと後ろで並んでいた自分けが信号で止まることになった.譲ったりしている合間に時間がかかり信号が赤になった時点で自分が停止線前に先頭であった.

それ自体に腹を立ててはいないが,こういう状況から社会で悲しみを背負っている人の存在を思った. この例では,譲ってもらう人はもちろん時間短縮の利益を得たし,譲ってあげた人は譲った幸福と数秒の時間の遅延ですんだわけであるしかし,その車の後ろのひとはただただ時間をロスした.さらに僕だけ信号を通過できなかった. 誰にも感謝されるわけもなく,ただ一人取り残されたのだ.

どこかで見たのだが,募金を募ろうと企画した人は感謝されるが,募金をした個々の人はそこまで感謝されないというのを思い出した.間接的には募金してくれてありがとうなのだが,企画者が一番もてはやされるのだ. こういうのは「下請けより元請け感謝される」,「税金を払っている人より税金を割り当てる人に強い権利がある」みたいに 社会って不思議というか,理不尽にあふれているような気がしてきた.なにも間違っていないんだけどもどかしい

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