2016-06-30

大人になった時の空しさと後悔

人間というのはいつの間にか年をとってしまい、それから段々当たり前だった日常が変化していく

「僕は将来おもちゃ屋の店員さんになる!」、「学校に行って友達と話すのが楽しいな!」

そんなことを思っていた自分にとっては今まで普通生活だった

しかし、そんな日はもう来なくなるのだ

中学までは義務教育でその先は受験選択する場所もっと広くなる

そこで様々な人との出会いが待っていると思うが自分にはできなかった

高校私立の方に親の威圧もあり渋々入ることになったが、もう当時の記憶などあまり覚えていない

まるで空白の3年間のような感じであった

その理由としては母方の両親や親戚が東日本大震災で亡くなったことと祖父の死が同時期に起こった事である

考えたくもなかったが、これが現実なのである

家族の悲しい表情を眺めていてもその人達が帰って来ることはない

いずれ自分の両親も亡くなり、葬儀を務めるのは自分

「その時に立派な職に就いていなければならない」、「当たり前のようにただ学校だけ行っていいのだろうか」とそんなことだけが脳裏に浮かんでくるばかりだった

自分能力なさに情けないと感じるが、それ以上に日本はどうして基礎教育だけを重視してその他のことは教えないのか未だに考えている。

最近中学同窓会の誘いがあったので行ってみたところ、やはり皆何かしらの成功者になっていた

ある人は大学サークル活動に熱心になりながら頑張っていたり、プロ野球団体入団テストにいけるまでの力を身につけた人まで様々であった

劣等感に浸りたかった訳ではないが、やはり人間人生というのは出会った数の分だけ成長できるのかもしれない

その時危機感を感じてはいたが、自分他人に自慢するための職を選ぶべきか、それとも本当に夢として追っていた職に就くべきかを迫られたような気持ちであった

こんな所に書き留めても何の解決にはならないと思うが、自分としては年齢は20代でも精神的には16、17歳程度に成長したと思っている

基本的教養を十分に身につかず学校を出てしまった自分責任はあるが、同時につまらないと感じるようになってしまったのは、これまでの日常が消えてしまたからと考えている

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