2016-06-14

テレビを見ないという選択

私はドキュメンタリーしかテレビは見ない。

小さい頃は誰もが同じ番組を見て、それがひとつ常識形成していた。

思春期になると、そんな番組特にバラエティ番組違和感を覚えた。

一方で平等差別撤廃を主張するが、その一方で真逆のことを行っている。

端的に言えば、容姿差別、年齢差別性差別人種差別序列差別

それをダシに笑いをとり、矛盾を指摘すると空気が読めないと言われ、

つのまにか負の属性を持つ人はそれを受け入れざるをえない状況になっている。

それを跳ね返すほどの長所を持っていれば自己肯定もできるだろう。

幸い私はどちらかといえばかなり恵まれている部類ではあったので、

その負の影響を受けることはなかった。

だが、自身の中の正義感が、おそらく傷ついているあろう仲間たちの気持ち想像するだけで悲しくなった。

もちろん、そんなもの独立しているコミュニティもあるが、テレビの影響力を考えると、

多くのコミュニティでその価値観が刷り込まれ、何の疑問もいだかない状況に陥っているのではないか

そんな価値観を作ってきた人々が、今やテレビご意見番となり、

イジメ不正否定し、まるで神の啓示のようにありがたがられる状況に恐怖を覚える。

「そういうものから

これほど思考停止意見はないだろう。なぜ、下の世代理不尽を残そうとするのだろうか。

幼少期はそうした価値観に影響を受けやすいので、私は子供バラエティをあまりみせないし、

それらはヤラセ台本があり、独特の空間であることを定期的に強く伝える。

今や、テレビ離れが叫ばれているが、私と同じように、テレビ辟易し、

思慮深くない、その場の盛り上がりにのみ焦点をおいた価値観から遠ざけたい、そう祈る親がいるからではないだろうか。

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