2016-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20160527222559

 学生寮屋上に上って、この街に溢れている幾つもの神話について思いを馳せてみる。ペンキの剥げかけた給水塔の淵に座って、その錆の浮いた表面をゆっくりと歩く蛍の姿に目を遣る。幾つもの神話が生まれ、そして死んでいった。もう二度と蘇ることのない神話もあり、そうでない神話もある。そして、多くの人間自分の抱えている神話が死んでいることにさえ気付くことはないのだ。


 僕にとっての神話が死んでしまったのはいつのことだったのだろう、と蛍の動きを観察しながら考える。それは確か、僕が十五歳だった時のことだ。その歳に、僕は初めてフランツ・カフカ小説を読んだのだった。

 そういう歳だ。

 結局、僕にとっての神話というものは僕をどこかに連れて行くものではなかったのだ、と思う。寧ろ、神話喪失こそが、僕を遠くへと連れて行くための条件だったような気さえする。僕がこれからどこへ行くとしても、その条件は喪失に他ならないのだ。それは海よりも深い確信だった。耳を済ませば夜の羽音が聞こえる。それは今にも飛び立とうとしている。ほんの微かな音であるにせよ、それは僕の耳に届く。それが神話というものだった。そして、その聴覚こそが、神話を喪った人間が引き換えに手に入れることのできるものだった。僕がどこかに行くには、何かを失うしか無いのだ。


     ◇


 やがて、蛍が飛び去っていってからも、僕は長い間その蛍が去っていった方角を眺めていた。

 僕は目を閉じ、自分の中を通り過ぎていった長い時間について考えた。目を閉じた後の暗闇の中を、蛍の灯は長い間彷徨っていた。僕は、その軌跡に手を伸ばしてみた。その指はどこにも触れなかった。僕が捉えようとした光は、僕の指のほんの少し先にあった。

記事への反応 -
  •  つまり、マイナスの自尊心と言うべきなんだろうけれど、いわゆる「神話」みたいなものを持っている人は多数派であり、そして自分のように「神話」を失ってしまった人間というの...

    • 神話を失ってないひとと、その書き直し。 正しい言葉を探すことで、正しい価値を見つけることはできない。 完璧な文章なんて存在しない。しかし、完璧な増田は存在する。 そして、...

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      • 家族や人間関係に没入することで、自意識の不安から目をそむけるのは「賢い」生き方だけど、それができない人間も一定数存在するんだよ。 自意識というか、誰もが幼児期に一度は「...

        • 広汎性発達障害 ちょっとググったけどすげえなこれ。 今どき占い相談所でさえこんなふわふわした診断基準ねえぞ。 なんだよ「感覚が敏感(鈍感)」って。 「あなたは目的に対して強...

          • 精神障害は誰にも多かれ少なかれ当てはまる内容のがほとんどだよ。 それが社会生活を営むのに重大な影響を及ぼすほどのレベルになってようやく精神科、心療内科の出番になる

        • http://anond.hatelabo.jp/20160527043842

      • 「効率が悪い」という理由で、いろいろと棚上げにできるってのが、健全というか、元増田の言葉を借りるなら無邪気で羨ましい。

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    • 信心たるものを自分で見つけ出せなかった言い訳を本件の文意に見出すのは良い態度と言えない。 それぞれが信じている各ワールドに幻想めいた真実があるではなく、不動の価値に自ら...

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