最近、大学の学食があいているのか気になってtwitterで「○○大学 学食」で検索をかけてみた。
すると「○○大学の学生でもないババアが学食で飯食ってるのチョ〜迷惑なんですけど」というような意見を多く見かけた。
仮に学生の本分が勉強だとすれば、図書館・研究室等での作業に差し障りがない以上それは迷惑ではないのだろうし、
何かメンタル面での大きなダメージを被っていなければ、まあ迷惑ではないだろう。
そしてたかだか3分待てば座れるので、合理性の観点から言っても大きな迷惑ではないだろう。
(仮に合理性を徹底するのであれば、書籍部でLOを売るべきではないだろうか?買いに行く時間が無駄だから。)
つまり、同じ「迷惑」という言葉でも、研究にまつわる迷惑と精神的迷惑と合理性的迷惑と「迷惑」とでは指し示す内実が違ってくる。
今、というかおそらくは昔から様々な「迷惑」をめぐって争いが行われている。
最近「迷惑」とされている事象を振り返ってみる時、その迷惑はどのような意味で使われているだろうか。
冗談めかしていえば、これは「迷惑」という言葉をめぐる闘争なのだ。
対応は、闘争に参加する(例:「というか、そのなんでも「迷惑です!」って言う姿勢こそ迷惑なんだよね〜」)か、あたらしい言葉を発明する、ないし言語ゲームを開始することの大きく二つに分けられるだろう。
みんなはどっちを選択するだろうか?
部外者が学内でナンパしたら逮捕されるよ
『この頭悪そうな女は「学生のババア」と「学生じゃないババア」をどうやって見分けてるのか』 というところを突き詰めていくと、どう仮定して考えても 『大学生は10代おわりから20...
http://anond.hatelabo.jp/20160526004546を書いた人? あとこれもhttp://anond.hatelabo.jp/20160527070533