保育士・介護士・研究者・技術者あたりの職業の待遇の低さや、日本人は高いサービス水準を当たり前のように享受して正当な対価を払わない、といった話が話題になるたびに違和感を覚える。モノの値段は常に需要と供給のバランスで決まっている。給料が低いと嘆いている人間は、それが「同じ給料で同じ付加価値を提供できる人間がごまんと有り余っていること」を意味するという現実に向き合うべきではないか。端的に言えば、「あなたをクビにしても同じ金で働いてくれる代わりはいくらでもいますよ」という宣告をされているに等しいということだ。制度の不備に不満をぶつけても現実は変わらない。自分の給料を上げるためには、競争に勝ち抜き、少しでも上に這い上がる努力をすべきだ。そのためには、差別化が必要だ。他人にまねできないスキル・技術・信頼関係を築き、交換不可能な人材となり、そのような人材を求める高級な需要を見つけてきて、それに応えるための努力をすべきなのではないだろうか。
それでもなお、制度がおかしい、全体の底上げが必要だ、という結論になるのであれば、集団でストライキするしかない。給料は需要と供給で決まっている。低い給料でも働く気のある人間を、一人残らずこの世から駆逐しない限り、現状は変えられないだろう。ヨーロッパの物価の高い国のような状態を目指すためには、一人一人の心の根底にある、奴隷根性を叩き直すところから始めなければならない。
そうした社会を目指していくなかで、必ずやらなければならないことがもう一つある。需要と供給が釣り合っていない歪んだ状況の存在を肯定し続けている、働かない高給オジサンを一匹残らずこの世から消し去ることだ。それが同一労働同一賃金の概念が目指す理想の世界のはずだ。
需要と供給だけで値段を決めていいなら、談合で値段を釣り上げることを取り締まれないんですよ。逆にダンピングによる同業者潰しもね。健全なる競争のためには規制が必要だって高...