「こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!」と思うと心が急に軽くなる。
なぜだろう。
「死ぬ」ことを選択肢として自分の手中に収めると、急に自由になった気がする。人生の幅が広がり、大空に飛び立てそうだ。
だれに向かって叫んでいるのだろう。
自分か、世間か、「死なないで」といってきそうな家族や友人か。
「自分が死ぬ」という武器を手にした自分は、身体の底から理解不能の勇気が湧き大胆になれる。
あえて生きているんだと。生きてやっているんだと。
得も知れぬ不安に襲われる時、不安の原因を辿ると往々にして○○な自分という自己像に囚われているに気付く。
結婚している自分、友人に囲まれてリア充生活を送る自分、親に喜ばれるような自分、
イケメンな自分、高給取りの自分、意義深い、他人に誇れるような人生を送っている自分。
そんな理想の自己像達の触手に絡めとられ、首をじわじわと絞められ息苦しくなった時、
私は顔を真っ赤にして脅すような口調で叫ぶ。
すると楽になる。そうか、無理して生きなくたって良いんだ。死んだっていいんだ。
自殺はダメ、安楽死もダメ、生きなければならないと思っていると苦しい。より良き生を送らねば!
実際問題、死ぬことは何か怖いし、完遂するまでに様々な手順を踏まなければならない。
結局惰性で続けられる「生きる」を選ぶ。
冷静になって考えてみれば、生きていて幸せを感じる事だってある。ラーメンは美味しいし、漫画で涙を流しもする。
とか言いつつ、私はどうせまた不安に襲われ苦しくなる。
そのとき私はまた叫ぶのだ。