2016-05-10

こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!

不安に襲われるあなたへ

「こちとらいつでも死ぬことができるんだぞ!」と思うと心が急に軽くなる。

なぜだろう。

死ぬ」ことを選択肢として自分の手中に収めると、急に自由になった気がする。人生の幅が広がり、大空に飛び立てそうだ。

だれに向かって叫んでいるのだろう。

自分か、世間か、「死なないで」といってきそうな家族や友人か。

自分死ぬ」という武器を手にした自分は、身体の底から理解不能勇気が湧き大胆になれる。

あえて生きているんだと。生きてやっているんだと。

得も知れぬ不安に襲われる時、不安の原因を辿ると往々にして○○な自分という自己像に囚われているに気付く。

平たく言えば理想現実ギャップだ。

結婚している自分、友人に囲まれリア充生活を送る自分、親に喜ばれるような自分

イケメン自分、高給取りの自分、意義深い、他人に誇れるような人生を送っている自分

そんな理想自己像達の触手に絡めとられ、首をじわじわと絞められ息苦しくなった時、

私は顔を真っ赤にして脅すような口調で叫ぶ。

「私はいつでも死ぬことができるんだぞ!!」

すると楽になる。そうか、無理して生きなくたって良いんだ。死んだっていいんだ。

自殺ダメ安楽死ダメ、生きなければならないと思っていると苦しい。より良き生を送らねば!

実際問題死ぬことは何か怖いし、完遂するまでに様々な手順を踏まなければならない。

結局惰性で続けられる「生きる」を選ぶ。

冷静になって考えてみれば、生きていて幸せを感じる事だってある。ラーメンは美味しいし、漫画で涙を流しもする。

とか言いつつ、私はどうせまた不安に襲われ苦しくなる。

そのとき私はまた叫ぶのだ。

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