死の恐怖に立ち向かうための言い訳
キリストやブッダは違うかもしれないが宗教として崇めだした人間たちが求めるのは
死の恐怖からの開放
そのためのロジックが欲しいだけ
物を入れたいから箪笥を買う、移動したいからクルマを買う
死の恐怖に傘が欲しいから仏教学ぶ
何ら変わりない
ただの商品でありコンテンツ
だから資本主義社会になっても生き残ってるだろ?
もし個人で宗教を作り出すとしたら否定しきれない余地の入らないような
論理性のあるコンテンツとして1から作らなければならない
そのコストを支払えない、支払いたくない人間は宗教を勉強し入門する
愛も同じで苦しみから逃れるために愛を求めだす
最終的に最大の苦しみの死の恐怖から逃れたいためにそうする
そういうこと
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