2016-04-23

心を殺す、誹謗中傷【追記】

ネット上の暴言バッシング誹謗中傷を、俺にはどうすることもできない。それが悔しい。

※以下、『暴言』や『バッシング』も全て『誹謗中傷』と表記する。


ネット上のどこを見ても誹謗中傷がある。もちろんまともな意見だってたくさんあるが、それがかすむほど酷い言葉も飛び交っている。

企業芸能人一般の人など、誰もが誹謗中傷される時代なのだ。少しでもヘマや不正をやった者は、すぐに叩かれる。(何もしなくても叩かれることもある。)特に一部の2ちゃんねるまとめサイトコメント欄は酷い有り様である

不正やらかした奴が悪いんだよ。誹謗中傷されて当然」と思っている人がいることは大きな問題だ。と、俺は考える。

そりゃ、ヘマや不正をやってしまった人に落ち度はあると言える。そして、ヘマや不正をやった本人がそのことで肩身が狭くなったり、その問題を解決しなければならない手間が発生するのは『自己責任』や『自業自得』だ。

しかし、だからといってヘマや不正やらかした者に対して「誹謗中傷されてもしょうがないだろ。自業自得でしょ」と言うのは、あまりにも酷だと俺は思う。

自分一人くらい誹謗中傷を書き込んでも何も問題ないと思いますか?

問題アリだ。

ネット拡散力・便乗は凄まじいのだ。特に、負の内容の拡散力は生半可ではない。人の不幸を心待ちにしている者がそれに飛びついてくるのだ。

誹謗中傷されて疲れ切った人が、一体どういう気持ちで生きているか考えたことがあるだろうか。あまりにも疲れると頭が一切働かなくなり、気持ちの下降は止まらなくなる。初めは喉から頭まで突き刺すような痛みを感じるが、そのあとはがらんどうになる。

からネット上に蔓延る、人を死に追い込むような書き込みを野放しにしておいて良いとは思えないのだ。

しかしだからといって俺は「綺麗事ばかり言え」と言いたいわけではない。どちらかというと俺も綺麗事は好きではないし、ちゃんと意見を述べることはとても良いことだと思っている。問題についてちゃんと考えた上で『批判』をするのも良いことだろう。

ネット普段言いにくい意見も言える場であるしかし『言論の自由』を勘違いした者たちが『ネット誹謗中傷し放題の場』と解釈し、カオス状態となっているのが現状だ。このまま誹謗中傷が増え続けるようなら、きつい言論統制が行われる可能性も出てくる。そうなれば誹謗中傷がなくなるのは良いにしても、『あれもこれも書き込んではダメ』な状態となってしまう。

…いや、正直言うと、言論統制されるかどうかは俺にとってはどうでもいい。


俺が言いたいのは、画面の向こうの人間をちゃんと見ようぜということだ。

ちゃんと見なくてもいい。一瞬だけでも『画面の向こうの者も人生を背負っている人間なのだ』と考えることができれば、誹謗中傷を書き込む手は止まるのではないだろうか。

画面の向こうの人間は、我々のストレス解消のために存在しているわけではないのだ。


ブックマークコメントを読んでの追記】

確かに俺は耐性があまりないのかもしれない。そして俺は、ネット上で自分に都合の良い意見を求める傾向が多少なりともあったのかもしれない。ただここ最近ネット上に溢れる誹謗中傷に戦慄してしまっていたんだ。悲しくもあった。

でも、そうだな。いろんな意見や考え方があるのだということを、俺こそもうちょっと寛大になって受け止めるべきなのかもしれないよな。どんな意見も、受け取る側次第とも言える。その意見について熟考したり、スルーしたり、怒ったり、悲しんだりetc

ネットから離れるのも、確かに良い手段だな。ありがとう

記事への反応(ブックマークコメント)

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