2016-04-04

なんでブロガーネット倫理を説けると思っているのだろう。

 ちょっと前に「記事スクショされてtwitter拡散されると本記事アクセスが入ってこない!やめて!」と叫んでいるブロガーがいた。

 彼の主張は正しい。許可無く誰かの著作を切り貼りしてアクセスを吸い上げるのは隣家からパイプ電気水道を盗んでいるようなもので、ことによると法にさえ抵触するかもしれない。


 だが、その主張のやりかたが正しくない。もっといえば、主張という行為自体が正解といえない。

 なぜならネット民は野蛮だ。倫理がない。そんな懇請記事などまず読まないし、読んだとしても「なるほど。では明日から行いを改めるか」とはならない。

 彼らはカルフォルニアイデオロギーを知らずしてその精神体現している。ネットとは、そもそもがそのように設計されたものから

 

 よって、彼らをシヴィライゼーションするにあたっては「お願い」などではなく、法律システムによって縛るしかない。

 いうまでもなく法制化はハードルが高い。整備に時間がかかるし、ロビイ活動にも励まなくてはならない。あなた孫正義か誰かならあるいはこれが一番の近道なのだろうが、ブロガー孫正義になり得ないからブロガーなのであって、一個人に世の中を動かす力など無い。


 というわけで、ユーザーを縛るシステムを構築するしかない。Webのいいところは、住居のオーナーだけでなく、借り主にも一定の装飾の自由付託されている点である

 たとえば、現状でも一部歌詞サイトではコピペ不可能仕様を取り入れている。

 もちろん突破しようと思えばいくらでも手のある他愛のない防壁だが、闕乏した精神を持つ蛮人はそこに壁がそびえているだけでめんどくさがるものだ。

  twitterで手慰みに他人生産物万引きしているような輩をくじけさせるには十二分以上だろう。

 問題スクショ撮影不可にする技術現存しているのかということだが、あったとしても、すくなくとも現状ブロガー程度の知能を持つ生き物が弄することのできないのはたしかだろう。

 彼らはtwitter万引き犯と同程度に無能かつ怠惰だ。あらかじめブログビルトインされた機能しか使えない。

 そんな彼らに何かしらの新しいシステムを期待するなど無理な話だ。スクショ禁止にかぎらず。


 法律ダメシステムも作れない。

 ではもはやどうしようもないのだろうか?

 やはりネットとは常在応仁の乱、野盗と鼠賊が持ちたるノーマンランドなのだろうか?

 いや、もうひとつだけ手はある。

「◯◯するのはいけない」という空気を作ることだ。

 日本人空気に弱い。

 日本人殺人を犯さないのは刑罰を受けるからではない、村八分にされる恐れがあるからだ、と去年まで近所の雑貨屋あやしい北欧アイテムを売っていたロブは言っていた。

 空気さえ作れれば最強になれる。

 ところが現代は同じ等質の空気をみなで吸うということが難しい社会だ。クラスタ化だ。大きな物語消失だ。

 そもそもブロガーの説く倫理が蛮族に通じないのは互いに違う空気場所で生きているからだ。


 じゃあ、日本を一つの空気に染める方法はないのか。


 いや、ある。

 あるのだ。


 アイドルになればいいのだ。

 日本人アイドルに弱い。アイドルの言うことならなんでも訊く。アイドルの発する言葉デルファイ巫女託宣に似ている。アイドルとは現代ブッダだ。ブドーカンの壇上にならぶ、数十のブッダ。(ウィリアム・ギブスンあいどる』より引用

 アイドルファンは慈悲深い。かつて、彼らを裏切ったある人気アイドル公衆面前で頭髪をすべて剃り落として許しを乞うたとき、その哀れな姿を見たファンたちは本来衆合地獄に相当する罪を犯した邪淫の女を涙ながらに寛恕したのである。慈悲、慈愛。これからネット必要倫理とはつまりこれらである

 現在ネットに慈悲や慈愛やみほとけの心は見当たらない。

 しかし、輸入することはできる。

 アイドルになることで。

 すべてのブロガーアイドルを目指すべきなのだ

 その輝きの向こう側へ至ったときあなたは三つの真理を悟ることだろう。


 色即是空

 諸行無常

 一切衆生


 アーメン

 

 

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