2016-03-06

皆同じ均一社から多様性へ向かう過程

皆一緒じゃないと発狂し、精神崩壊してしま人間が、全員バラバラの人種がまぜこぜに入り交じる世界で、果たして生きて行くことができるのだろうか?

世の中には、突出した能力保持者もあれば、その逆もある。

様々なものを持つ人間もいれば、その逆もある。

バックグラウンドも異なる。そのどれもが生きられる社会

これまでは、異質なものを無理やり、ボッコボコに叩きまくって均一化させていた。1ミリの違いも許さず潔癖に違いを排除し同じ型に嵌めていた。同調圧力。出る杭は打つ。細かすぎるルール

それが変わっていくのだ。

これまでの空気適応していた人はどうなるのだろう?

そうとうな内的変容を経ていかないと生きるのは(多様性への移行を果たすのは)難しいだろう。

自分と人を比べて、鬱などにも何度もかかるだろう。

それもこれも、日本人全員が受けてきた人と比較する教育の賜物であったのかもしれないし、しかしこの教育も受けてこなければ、それもまた、ただ協調性のない人間が出来上がるだけなのかもしれない。

多様性、違いを批判し会うのではなく、人との違いを認め、自らの器を大きくしていく変容。

  • 日本人コミュニティに閉じこもる留学生とか チャイナタウンから出てこない移民みたいなもんで 共通項がある人間を見つけ出してそいつらとしか関わらないだけ

    • 蛸壺で生きるというのは、根本的には多様性を受け入れている訳ではないんだよね。蛸壺社会でも、その間を橋渡しする役がいると何とかなるかもしれんが、そのポジションはかなり厳...

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