2016-02-15

おっさん流行りのゲームをやってみた結果

当方アラフォーおっさん

ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってから自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。

そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題ニュースになったり、実況動画ユーチューバー扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DS発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。

俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代任天堂に憧れ、ファミコンディスクシステムに埋もれて育った。反抗期メガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターン遊んだ(結局スーファミプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。

社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。

興味が無かったわけじゃないけれど、ネットWebコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。

仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなもの勝手に持っていたような気がする。つまりゲームを作る側でも無い普通人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為クリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。

そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSWiiで遊ぶようになった。

でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲーム話題になることはなかった。俺自身Wiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラ面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。

我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機ゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチクリスマスプレゼントだと思う。

その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。

かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである

すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。

一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。

その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。

12月31日仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分ID登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。

ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……

かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ

操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。

正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。

なんだこれは。

気持ち良すぎる。楽しすぎる。

気が付くと、がむしゃらにわけもわからインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。

一体、なんなんだこれは……!!

何も考えず次のバトルに参加し、無我夢中インクを塗った。

3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。

なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。

別に大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分お年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラ似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲーム現実になるなんて!」とバーチャロン100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。

とんでもないものを作る人がいる。

任天堂はすごい。このゲームを作った人達はすごい。

素直に尊敬するしかない。すごいものを作るなあ、と。

そうだ、楽しいゲームプレイしたとき体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界過去より進化している。

未来だ。これは未来だ。

かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。

だってフィールドを思い通りに走り回り、リアル人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。

去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ

俺は止まった時間から未来たる現代に帰還したのだ。

良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だってゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。

気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。

信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。

大人も子供もおねーさんも同じように熱中するのもよく分かる。

すさまじいゲームバランス運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤー前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂からできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルインクでいっぱいで、なぜだか不思議クリエイティブな気分だった。

ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーション特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。

普段仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネット特別もの得体の知れない不穏なもの敬遠する層があり、そういう世界がある。世代ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアルネットの戦い」だとか、「紙媒体Webメディア二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。

仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。

しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネット電気水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ

既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。

思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね

対人で対戦できるFPSTPSだってオンラインRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験それからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。

でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃

任天堂さんありがとうございます。教えてくれたはてなーのみんなもありがとうスプラトゥーン面白いです。

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