2015-12-26

映像作品映像脚本を切り分けて考える人が分からない

映像作品に対して「脚本は良かったけど映像微妙だったね」やそれとは全く反対の事を言っている人を結構見かける。

そういう人達が何を言っているのかよく分からない。

いや、正確にいうと「少し考えれば自分おかしなことを言っているのだと気づくはずだろうに」としか思えない。

映像作品は全体で1つの塊だ。

それはあたか料理の味と匂いと見た目とそして名前が切り離せないのと同じように。

コーラの瓶にコーヒーが入っていたら誰もが面食らって一口飲んで「まずい!」と言うことだろう。

納豆匂いがするケーキがあったとしてそれは惜しく食べられるだろうか。

逆にケーキ匂いがするステーキは美味しいだろうか。

しかしここで考えて欲しい。

コーヒーを入れたコーラの瓶、それらは互いに悪者だろうか?

瓶はコーラを入れる分には何の問題もなく機能する。

コーヒーだってカップに注げば何の問題もない。

それだと言うのにどちらか片方を「なんてややこしい瓶なんだ!こんな瓶を作ったやつはゴミクズだな!」と非難するのはおかしいと思わないかね。

もしもここで悪者がいるとしたらコーラの瓶にコーヒーを注いだ人間だと誰もが思うだろう。

では映像作品においてそれは誰か、監督である

時に監督は作りたい映像のために脚本整合性犠牲にしたり、反対に物語性のために映像としては退屈なシーンを要求する。

そしてスタッフはそうして与えられた仕事を精一杯やるわけだ。

こうして出来上がった作品の中には、監督イメージした作品作りの結果犠牲になる部分が出るかもしれない。

それに対して「この作品はここが良かったけどここが駄目だった。全くこのスタッフは本当にチンカスだな」というのは実に物の見方が狭すぎはしないだろうか。

と私は思うんだがね。

しかしたら私の物の味方が大局的すぎるのかも知れないなとも時折考えないでもない。

  • 単にヘイトする上での逃げ道の確保をしてるだけだよ

  • 作品という塊の長所と短所を述べてるのではないか? 比べたときにたぶんその人の主観で優劣がわかりやすくでていたからこそ意見したくなるみたいな。 そもそも映像と脚本をきりわけ...

  • えー、だって絵はきれいだけど話はスカスカな作品とか本当にあるんだもん むしろ良いところを褒めようとすると「……絵はきれいだったね」と言うしかないんだよ ケーキで例えるなら...

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