2015-12-23

研究室から脱出

夜勤明けで朝に帰ると、大学院生ときはこの時間でも作業してたんだなと思い出す。

数年前のこの時期は修論でとても忙しかった。

なのにも関わらず

・授業の手伝い(無給)

最近配属されてきた3年生のためのゼミ資料作成

自分研究関係ない企業との共同研究の手伝い

学校に来ない卒論生の管理

本来私がやるべきではない仕事強要されていた。

授業の手伝いやゼミ資料はとりあえず時間かければ終わるからまだいい。

共同研究も、出向先で企業の方には色々と言われるが研究室ボスが居ないので自分にとっては精神的に楽。

地獄なのは卒論生のこと。

学校に来ないので、かけたくもない電話をかけてみる。

出ないので、仕方が無く実家にかける。

ようやく返事が来て、学校へ来ると。

一度学校に来ると、暫くすると雲隠れする。

ボスは「なんであいつは学校に来てないんだ!」と。

そして怒られるのは私。

また仕方なく電話をかけると、電話は受け取らずにメールでやりとり。

最終的に「研究室ストレスになるのでなるべく家で研究します」と。

これ以上一体俺にどうしろと。

クリスマスの日は、卒論生が学校に来ないのは私の指導の仕方が悪いだの、言い方が淡白すぎて無感情からかいう指摘を小一時間頂いた後、修論書くんなら当然まとめたもの投稿論文にしないと、修士論文受理してあげるけど修了は認めないからと、冗談とも本気とも取れない顔で言われた。

色々反論はしたが聞き入れられず。

理詰めで抵抗しても、最後は結局

人生でこういう経験したことは必ずプラスになる

社会人になったらやりたくないことでもやらなきゃならないんだよ?

社会人になったら、仕事しない後輩持つことだってあるよ?その練習だから

かい言葉で言いくるめようとしてきた。

まあ、歳が倍以上違う妙齢ボス言葉で勝てるはずも無く、結局最後まで面倒を見た。

私も当時はまだ頭・・・というか考え方が子どもだった。

本来なら、ここでハラスメント相談などをすべきだった。

このときは、疲労とストレスのせいでおかしくなっていたようで

修士2年全体で行う合同ゼミにて、隣の研究を全くしない研究室ゼミ発表に

変な噛み付き方をして、そこのマスター学生から若干苦情が来た。

その節は関係者には申し訳なかった。

更に、研究室内での言動もやや荒くなっていたらしい。

卒業とき飲み会で「先輩、あの時猛禽類みたいな目してたんで絶対しかけらんなかったですよ」と言われた。

更に、先程の噛み付きから、専攻内で噂になり、俺がとんでもない人格人間であると広められたようだ。

噂が広まった結果、当然ボスにこってり怒られた。

まあ、それに関しては私に落ち度があるので仕方ないか。

結局彼がまともに研究をし始めたのは卒論提出の1ヶ月前。

つきっきりで面倒は見てあげたが、取り組むのが遅すぎた。

終わったのが実験の前準備の基礎実験をするとこまで。

卒論はこの内容を発表した。

他の厳しい人の記事とかを見ると

この面倒を見るのさえ甘いという指摘がチラホラ。

「真面目に取り組まない奴はどんどん留年させればよい」というやや過激記事も多い。

今は社会人となり、ボスの言うこともあながち間違いではなかったとは思う。

社会人は厳しい。

当たり前だが、学生と違い、成果は当然出さなければならず、頑張ったけどできませんでしたは通らない。

進捗も結果を論文にまとめるだけという甘いものではなく、逐一毎日詳細を報告するである

しかし、私はどうやら社会には適合していけるようだ。

研究室理不尽に比べると、社会の厳しさの方が全くストレスを感じない。

今思えることは、会社自分の将来を縛るが、研究室自分生活を縛っていたなということ。

仕事をしないなら当然クビである

社会人として生きていくためには仕事をするしかないのである

そういう意味では私は会社に縛られていると言って良いだろう。

しか研究室は違う。

当然だが研究には終わりはない。

どこからどこまでというさじ加減は研究室ボスが決めるのである

一番上のさじ加減が狂っていると、ラボメンバーは成果を出そうが出すまいが常に拘束され続ける。

夜中に論文日本語添削要求されたり、休日にいきなりラボに呼ばれて留学生の相手をさせられたりもする。

自分がした実験の結果を勝手に使われた論文に、共著者にすらして貰えないこともある。

そしてそれを咎める者が誰も居ない。

最もおかしいのが、それが常習化しており、誰も疑問に思っていないことである

ボス絶対神様なのである

そして、研究室から一歩外に出ると、それが通用しない。

研究者というのは、これに耐えてでも研究をしたいというのだから

尊敬するとともに、常人精神ではないなと思う。

総括すると

私は研究室に、あるいは研究に向いている人間ではなかったということ。

社会の方には、無難仕事が出来るぐらいには向いている人間であったということ。

そして、大多数の人は、後者だということ。

研究室の全てが私の過ごした研究室のようだったとは言いませんが

ある程度の規模の研究室だと、私のような経験をされた方が必ずいるのではないでしょうか。

ある特定人間にの権力が集中していると、似たような事態は起こりやすい気がします。

大学人生で一番楽しかったという人はとても羨ましいです。

私は人生で一番戻りたくないのが大学時代です。

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